最新号 (第185号 2025年1月15日配信)
『青雲の志』年末・年始の休みに、なんとかデスク回りだけ整理した。
思えば、前回そうしてから、実にまる一年が経っている。
すると、思いがけないものが見つかった。
広告用紙の裏面に、忘れもしない、倉光誠一先生の筆跡がある。
中学二年、三学期の過酷な期末試験が終わり、束の間の安らぎを得て、
私は職員室の倉光先生を訪ねた。
これから先、何を目標に、大げさに言えば何を志して生きていったらよいのかを、
相談にうかがった。
倉光先生とは、多くの方がご存じのように、「ポカラの会」を立ち上げ、
大木神父を大いに助けた方だ。
先生はお忙しかったであろうに、嫌な顔一つしないで説明を始められた。
中学・高校の6年間が終わったら、大学に進学することになる。
大学は理科系と文科系に分かれていて、前者は理学部、医学部、工学部、農学部など、
後者は文学部、法学部、経済学部、神学部などで、
最初の二年間が教養課程、最後の二年間が専門課程となる。
四年生の最後に卒業論文を書くが、
これらすべてに合格すると「学士」と呼ばれることになる。
さらに学問を続けたい者のためにあるのが「大学院」で、最初の二年間が「修士」、
次の三年間が「博士」課程となる、等々。
学位のシステムについてほとんど知らなかった私は、わくわくしながら聞き入った。
続いて倉光先生は、カトリックの司祭になる課程についても語り始めた。
中学二年の当時、私はすでに神父になることを考えていたが、
それには「教区」司祭と「修道会」司祭の二通りがあることを知らなかった。
前者は、たとえば東京教区や広島教区に所属しながら神学校に通い、
六年程度で司祭となる。
一方、修道会、たとえばイエズス会に入ると、最初の二年間は「修練期」となる。
被爆した長谷川少年を助けたあのペドロ・アルペ神父が院長をされていた広島の長束で、
ラテン語や基礎的な聖書学、哲学等を学びつつ、祈りと労働の生活を送る。
次の三年間は哲学を学ぶため、通常は上智大学哲学科に在籍することになる。
さらに二年間、社会に出て実務につく「中間期」がある。
ちなみに、広島学院にも毎年この中間期のイエズス会士が来て、
二年間だけ教職について帰っていかれた。
これが終わると神学を四年間学ぶが、
その三年目が終わった段階で司祭に「叙階」される。
したがって、修道会の司祭になるには、実に十年を要することになる等々、
倉光先生は丁寧に説明され、逐一紙に書かれていった。
ところで、カトリック教会には数多くの修道会がある。
なかでもイエズス会はフランシスコ会、ドミニコ会と並ぶ三大修道会の一つで、
キリストの軍隊を自認し、学問の探求と青少年の(厳しい!)教育を使命としている。
先生は、「青山君が入るなら、イエズス会がいいですね」と、
当然のことのように言われた。
そのためには、高校を出てすぐに入ってもよいが、
大学を卒業してからのほうがよいかもしれない。
たとえば、まず医者や、物理学者になって、
それからイエズス会に入るということも大いに考えられる。
実際、イエズス会校で学んだ者のなかには、科学者だけでもメンデル、
アンペール、フェルマー、ホイヘンス、フェルミ、ド・ブロイ等々、
いずれも人類の科学の礎を築いた人びとがいる。
「たとえば臨床心理学を専攻されるといいですね。
患者や医師の深層心理を研究することになりますが、
カトリックの立場からどんなことが言えるか、大いに興味深い。
いいですねぇ」
などと言われたときの口調を、今も思い出すことができる。
その後、中・高の残る4年間も、私はカトリック司祭になる意志を持ち続けた。
大学に入って、『あるヨギの自叙伝』などで世界観が拡がり、
ヨガナンダの義理の甥に当たる先生についてヨーガを学び始めた後も、
しばらくこの夢は変わらなかった。
ヴェーダ科学や瞑想に本格的に親しんでなお、
これを基盤においた修道会を立ち上げてはどうかと考えていたくらいだ。
イエズス会創始者であるイグナチウス・ロヨラの「霊操」を超えられるかもしれない。
いや、はるかに超えられる。
体調を崩した時期がなければ、もしかして私はそれを実行に移し、
今頃どこかで神学や瞑想を教えていたかもしれないし、
逆に教会内の旧来の権威者らに潰されて還俗していたかもしれない。
あれは本当に中学二年のときだったのか……。
そう思ってふとおもて面を見てみると、「48年春の種・頒布会」と書かれていた。
昭和48年(1973年)、中二の春……、あれから半世紀以上が経ったが、
広島にいた間にすら引っ越しをしたし、その後東京に出、アメリカに行き、
幾度となく引っ越してきたのに、その都度、私はこの紙を手放さなかった。
本稿を書いているこの日、インドでは、
今回の新しいパリハーラムの最初の儀式+チャリティとして、
108人の貧しい村びとが聖サバリ山に登っている。
彼らにとっては一生に一度、夢の聖サバリ山登攀で、
あのアイヤッパ神に祈りと、思いのたけを叫んでいることだろう。
新春ということにも増して、「おめでとう!」と心から申し上げたい。
カトリック司祭にはならなかったが、こうして離さずにきた「紙」にもまして、
大木神父や倉光先生の「志」を少しでも温めてこられたなら、
私にとってのささやかな幸せだ。
そして、本稿をお読みいただいている皆さまにはそれぞれ、
それよりもはるかに優る大きな幸せが訪れてほしい。
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