青山圭秀エッセイ バックナンバー 第161号 – 第170号

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第161号(2022年11月1日配信)

『聖者と神々の思い出』

カルパスワミ神は、神々のなかでも特異な地位を占めるかただ。
彼は酒を好む。タバコも吸う。肉も召し上がる。
かといって清浄でないわけはなく、地上においては強大な力をもち、
弱者を救い、天界に導くという使命を担っておられる。

南インドには、カルパスワミ神を一身に受け、その言葉を口にする方がおられる。
彼もまた、カルパスワミと呼ばれる。
こちらは人間なので、聖者カルパスワミとお呼びするほうが正しいであろう。
聖者は通常、菜食であるが、
カルパスワミ神が降臨されるや、酒を呑み、タバコを吸われ、
帰依者からは肉の献上を受け取られる。
かつて、聖者アガスティアが大海を呑んだという神話があるが、
こちらは地上の穢れを呑み込まれ、
われわれには幸福だけ残してくださる。

かつて、カルパスワミ神が降りてこられる前、
つまり聖者が聖者ご自身であられる間に、
私たち巡礼者を小部屋に導き入れてくださったことがあった。
そのとき、その掌からカルパスワミ神が立ち昇られ、
私たち一人ひとりの中に入って祝福されたのを見た人がいる。
また、聖者が突然、扉を開けてお出ましになったとき、
一人の方は決して近くにいたわけでもないのにその“風圧”に吹き飛ばされ、
コロコロと転がった。

思い出深い8月の巡礼旅行後、数度にわたって次の巡礼の指示が予言に現れた。
『カールッティケの月(11月15日~12月15日)、
シヴァ神のダルシャンに与りなさい。
ティルヴァンナマライとチダンバラムに赴くように……』
この期間で巡礼に行こうとしていたところ、
これを察知されたのかカルパスワミから、
『12月7日、満月の大祭には21神将がこぞって降臨される。
是非、会いに来るように』
という直接のお言葉をいただいた。
カルパスワミ神配下の21位の(21人の)神々のことである。
こうして今回の私の巡礼は、12月6日(火)~11日(日)で組むこととなった。
結果、日本への帰途にはクアラルンプールで適度な時間が発生するので、
自由時間として買い物やマッサージを楽しみ、その他の巡礼や観光も可能となった。

カルパスワミ神と21神将にお目にかかれるのかどうか、
そこで今回どのような奇跡が起きてくるのかは、まさに神々や聖者のご意志により、
こちらの意識のありようにかかっている。
しかしいずれにしても、
チダンバラム・ミステリーといわれるナタラージャ寺院を巡礼し、
訪れた者だれもが驚くというカーリー寺院を参拝、
さらに、ラマナ・マハリシの聖地では瞑想に浸りつつ、
まだ日本人の誰も与ったことのないウイルス鎮静化のための
大ホーマを捧げることになる。

今回のこの巡礼についてもっと知りたい、
一緒に行きたいという方もおられるかもしれない。
時々刻々、情況が変わってきているので、
その皆さんは至急、お問い合わせフォームからご連絡いただきたい。


第162号(2022年11月23日配信)

『1990年』

前世紀が最後の十年を迎えようとしていた1990年11月、
私は生まれて初めてインドにいた。

すでにインド文化にはさまざまなかたちで触れていた。
子どもの頃『万国びっくりショー』で見た、
ヨーガ行者のことをずっと忘れなかった。
中学のときについたヨーガの先生から、瞑想を学んだ。
学生の頃、まだ日本で誰もその言葉すら知らなかったアーユルヴェーダを学んだ。
だが、31歳だったそのとき、なんといっても会いたかったのは、
「神の化身」サティア・サイババだった。

11月23日、誕生日の当日、巨大なヒルヴィウ・スタジアムに現れたサイババは、
芥子粒のように小さく見えた。
数日後、祈りが通じたのか、私はインタビュールームに呼ばれて、
めくるめく現象の数々を目撃することとなる。
「妻は体調を崩し、今回は来られませんでした」というアメリカ人の帰依者の前で、
サイババは手をクルクル回したかと思うとシヴァ・リンガムを物質化した。
その赤い縞模様を指さして、『奥さんの悪い血液をここに封じ込んだ』と言われた。
『奥さんは、もうよくなるだろう』

私にもなにかを物質化してほしいと思わなかったと言えばウソになる。
が、サイババは私にはモノの代わりに、過去にまつわる一つの真実を語った。
『おまえの最初のヨーガの教師が、
 おまえが真理(サティア)に近づいていけるようにと
 祈ったのをわたしは聞いて、
 おまえを呼んだ……』

今回の巡礼旅行でも、それと同じことが起きた。
ある方が捧げていた必死の祈りを聞かれたシヴァ神は、
『彼を連れてくるように』という指示を予言の葉に残されていた。
それを一体、どのように伝えればよいのか戸惑っていた私にも、
『次のプージャのときに伝えるように』という指示を残されていた。
そのとおりにしたところ、その場におられた皆さん以上に驚かれたのは当の本人で、
「死ぬほど祈っていました」と言われたものの、
いざそれが叶うと、信じられないという面持ちで放心された。

あるとき、一人の大金持ちが、
大人でも抱えきれないであろう巨大な花籠を
サイババに贈ろうとされたことがあった。
また、インタビュールームのなかで、別の金持ちが
一対のパドゥーカ(サンダル)を贈ろうとした場に居合わせたこともある。
プラチナで造られた見事な逸品で、11月23日の誕生日の贈物であった。
だが、サイババはそれを受け取ろうとされなかった。
『花も、フルーツも、他のどんな贈物も、もともとおまえのものではない』
サイババは言われた。
『それらよりも、真におまえが所有しているもの、
 内側に輝く浄らかなもの、悔い改めの涙で浄められた芳しいおまえの心が、
 わたしは欲しい』
『真の神性がおまえのハートに花開いたとき、
 そうして至高の神が棲まわれるハートをわたしに捧げるとき、
 そのときがおまえのなかの、わたしの、真の誕生日なのだ』──

まるで昨日のことのような、三十数年前の思い出である。


第163号(2022年12月19日配信)

『血脈』

明治の初期、三百年の沈黙の末開国した日本に関心をもつ多くの外国人のなかに、
イギリスの貿易商ジョセフ・ヒギンボサムがいた。
彼はそこに息づく人びとと文化に心酔し、横浜に居を構えた。
ジョセフが好んだもののうち、第一は絵画であった。
日本人の描く自然とその町並み、人物と風景……特に水墨画を彼は愛した。
そうして気づいてみると、日本女性と結婚し、三男一女をもうけるにいたった。
妻は、名を牧野キンといった。
滞在が長期に及んだ後、ジョセフは父親の訃報に触れる。
そうして帰国の途につき、香港に立ち寄った際、
不慮の病に倒れ、帰らぬ人となった。

その父を追うようにして、長男・牧野譲(じょう)は、
父の祖国イギリスはマンチェスターを訪ねた。
対応した執事に来意を告げるも、父は名門の伯爵家であり、
東洋人との混血の子は歓迎されざる客だった。
門前払いとなった譲は途方に暮れ、所持金も底をついて、
来た道をトボトボ引き返していると、六頭立ての馬車が後を追ってきた。
降り立った老婆はこう言った。
「おお、おお、私の孫よ……、おまえを表から入れることはできないけれど、
 裏門からなら入れてあげられる。一緒においで」
そのとおりにすれば、譲はまったく違った人生を歩むこととなったであろう。
そうして違った家系が生まれたに違いない。
が、「裏口から入ることはできません!」と譲はこれを拒絶、
アメリカ行きの船に乗り込んだ。船内では皿洗いをし、
広大な米大陸をヒッチハイクして、最終的にハワイへと渡った。

ハワイに移住した長男・譲と三男・金三郎は、共にハワイ報知新聞を創立した。
社会正義を求めて活動し、時には弱者のための訴訟も辞さず、
現地日本人社会の礎を築いたといわれている。
彼らが日系社会にどれほどの貢献をしたかは、
残された伝記の献辞からも容易に想像できる。
『現在及び将来の人びとは、われわれが今日享受する政治、社会、経済的向上への
 牧野氏の貢献の歴史に鼓舞されるに違いない』
 ハワイ州知事ジョン・A・バーンズ
『フレドリック牧野の名は、永久にハワイ州史に残るであろう。
 その功績は、アメリカにおける少数民族の真の意義を理解する人びとによって、
 常に記憶されるであろう』
 アメリカ合衆国上院議員ダニエル・イノウエ
『彼の賢明な判断、すべての人びとのための温情と人格は、
 社会に尽くすことの手本を示したものというべきである』
 ホノルル市長S・ブレイズデル
ハワイ報知は、ハワイに現在も残る唯一の日本語新聞である。

ジョセフ・ヒギンボサム伯爵は、牧野キンとの間に四人の子をなしている。
うち、次男・瑛次郎は日本に留まり、亡父の跡を継いで貿易を営んだ。
自前の船舶を所有する財閥となり、横浜に数千坪の邸宅を構え、
毎年春・秋には園遊会が催された。当時の写真を見れば、
見渡すかぎりが牧野家の土地で、厩舎には馬が何頭も飼育されていたことがわかる。
地元の若い女性にとっては、牧野家にお手伝いに入るのが憧れであったという。
ちなみに、本稿筆者の恩師・大木章次郎神父の実家も横浜の大貿易商であったので、
牧野家とは何らか接点があっただろうと考えるのが自然である。
その環境に育った孫・美佐は、夫となった渡辺晋とともに昭和34年、
芸能プロダクションを創設した。わが国における芸能界の草分けとして、
クレージーキャッツ、ザ・ピーナッツらをはじめ、伊東ゆかり、園まり、
ザ・ドリフターズ、沢田研二、布施明、森進一、
さらには小柳ルミ子、天地真理、キャンディーズ等を擁する、
いわゆる「ナベプロ帝国」を築き上げることとなる。
一方、長男・譲の家族はわが国に帰国後、大正12年、
息子・喜一が中等学校野球連盟を創立、今日の甲子園大会を擁する
高等学校野球連盟の礎を築いた。また、その息子・英雄は、
曾祖父に当たるジョセフ・ヒギンボサムの絵画への造詣を受け継ぎ、画家となった。

牧野英雄画伯には、筆者もその邸宅でお目にかかったことがある。
ご自分の絵画以外に、多くの美術品・芸術品に囲まれていた。
正直を絵に描いたような方で、画業にいそしむものの、
これを売るという努力をせず、まるで仙人のような印象であった。
だが温和で、人を疑うことを知らない性格を逆手にとられ、
晩年、広大な邸宅を詐取された。筆者と友人の譲原正幸氏は、
これを阻止するべく八方手を尽くしたがついにかなわず、
その後家族は分かれて住むこととなった。
その際、多くの芸術品とともに画伯の画も持ち去られたが、
娘の英里はこれはというものだけを選び、手押し車に載せて秘匿した。
現在、彼女はアートオブサイエンス中根分室近くに母親と共に住み、
弊社の仕事に従事している。

父・英雄は、自分は祖先と違い、大きく社会の役に立つことなく死ぬことになるが、
しかしおまえはなんとしてでも人様のためになる人生を送るようにと娘に言い残し、
平成26年亡くなった。
父親はまた、将来必ず自分の画が売れるときが来るとも語っていたという。
英里はそのため、この度、父の遺作を公開し、
その売り上げを困窮するアフリカの学校運営のために使いたいと申し出てくれた。
皆さまに持っていただけて、かつそれがアフリカの子どもらの役に立つならば、
それ以上に嬉しいことはないと言っている。

日本の文化と絵画を愛したジョセフ・ヒギンボサム伯爵家から数えて四代、
牧野英雄とその一人娘の願いをかなえたい。
12月24日(土)、イエス・キリストの生誕を祝うその日、
画伯の遺された画のオークションを催したい。(文中敬称略)


第164号(2023年1月19日配信)

『戒(いまし)めの鞭(ムチ)』

1981年5月2日、アイルランド航空164便がハイジャックされた。
カトリックの修道士だという犯人の要求は金銭や犯罪者の釈放などではなく、
「ファティマ第三の秘密を公開せよ!」というものだった。

第一次世界大戦が始まって3年が経とうとしていた1917年5月13日、
ポルトガルの寒村ファティマで、
ルシアら三人の牧童の前に聖母マリアが現れたとされる。
聖母は翌月以降も同じ13日にその場に来るよう少年と少女に伝え、
同年10月まで7回にわたりご出現があった。
10月13日には、群衆の前で太陽がグルグルと弧を描き、大きさを変えるという
いわゆる「太陽の奇跡」があり、7万人を超える人びとがこれを目撃した。

ファティマにおけるご出現で、聖母マリアは三つの“啓示”を行なったとされる。
一つは「地獄の実在」で、
これを見せられた子どもたちは想像を絶する光景に戦慄した。
二つ目は第一次世界大戦が間もなく終結するというものだったが、
しかし人びとが罪を悔い改めないなら、
次期教皇ピオ11世の治世でさらに酷い戦争が始まるとされ、
これも現実のものとなった。
(ちなみに、この時点ではまだ次期教皇は決まっていなかったが、
 1922年、実際にピオ11世が即位し、その後「さらに酷い戦争」へと続いた)
そして三つ目の、「ファティマ第三の予言」。
1960年まで公開してはならないとされたその内容を、
修道女となったルシアは書簡にまとめて封印し、教皇庁に託した。
1960年、ときの教皇ヨハネ23世がその封を開けることはなかった。
1965年、これを開けたパウロ6世はその場で気を失い、ふたたび封印したとされる。
1981年、冒頭のハイジャック事件が起きたが、
第三の予言が公表されることはなかった。
2000年、ヨハネ・パウロ2世はついにこれを“公開した”が、
その内容については当初より専門家の間でも疑問視され、
現在、虚偽であるか、または少なくとも全文ではないと考えられている。
正直なところ筆者は、それをまったくの虚偽とは思わないが、
真実のすべてだとも思っていない。

こうして、いまだ謎に包まれたファティマ第三の秘密であるが、
私がいつも思い出すのは、聖母マリアによる次のような一貫した要請である。
『あなた方のさまざまな罪を、
 神は戦争や飢餓、教会の迫害の形で罰せられるでしょう。
 それを阻止するため、
 ロシアをわたしの汚れなき心に奉献してください。
 もしあなた方がわたしの望みに耳を傾けるなら、
 ロシアは回心し、世界に平和がもたらされます。
 そうでなければ、ロシアは世界中に誤謬を広め、
 戦争と迫害を押し進めるでしょう。
 罪のない多くの人びとが死に、
 いくつかの国はなくなってしまうでしょう……』
(1917年7月13日)

『ロシアが、世界にとって戒めの鞭となる……』
この数十年、私は聖母マリアのこの言葉を、幾度となく思い起こしてきた。
1989年、冷戦が終結したように見えたとき、
もしかして杞憂に終わったのかと思ったが、
結果はそれほど単純ではなかった。
昨年12月の巡礼旅行前より、これについての聖者の予言が出てきつつあるが、
さまざまに複雑な要素が絡むので、
1月29日(日)、本年最初の<プレマ・セミナー><瞑想くらぶ>で解説したい。
また、ファティマであった「太陽の奇跡」は、その後、
聖母マリアのご出現地であるメジュゴリエでも幾度となく起きてきた。
その動画も併せ、見てみたい。


第165号(2023年4月10日配信)

『神々との出会い、聖者との語らい』

二十世紀の後半、南インドの小さな街に一人の少年が生まれた。
幼くして神々と会話を交わすようになり、ついにはシヴァ神と熱心に話し込んでいるので、 心配した母親は息子をシャンカラーチャーリヤに会わせることにした。
一介のカトリック教徒がローマ教皇に会うのが容易でないように、それは簡単なことではなかったが、 しかし彼を目の前にしたシャンカラーチャーリヤは優しく少年を包み込み言った。
「わが子よ、精進しなさい。おまえは生涯に八つのシヴァ・リンガムを世に出すことになるのだから……」

シャンカラーチャーリヤの予言した年齢に達すると、 青年となった彼はシヴァ・リンガム(シヴァ神の象徴、宇宙卵の像)を物質化するようになった。
その前、一マンダラ(48日間)を断食に費やし、マハー・シヴァラトリ(大シヴァ神夜祭)の当日、 シヴァ神ご自身によって予告された時刻にリンガムは胃から出てきた。

かつて、三番目のリンガムが物質化された後、母親は彼を無理やり病院に連れて行った。
レントゲン写真は、胃内に五つの物体を映し出していた。
女性のなかにすべての卵が最初からあるように、 神の宇宙卵シヴァ・リンガムは最初から聖者の体内にあったのだった。
この聖者に出会うことになった経緯と、なかが金色に輝く六番目のリンガムが生まれたときの模様を、 拙著『神々の科学』のなかに少しだけ描いた。
すべてが終わった後、聖者が宙を見ながら「ああ、神々が帰っていかれる……」とつぶやき、 意識を失ったときの様子が、昨日のことのように思い出される。

その後、七番目のリンガムを経て八番目、 『大聖地ラメーシュワラムで、わたしは最後に生まれる』とシヴァ神は予告され、 これを聞いた聖者は私を列車に乗せた。
当時まだマドラスといっていたチェンナイから十時間以上をかけてラメーシュワラムに下ると、 そこはまさに大叙事詩『ラーマーヤナ』の世界だった。
ラーマ王子が最愛の妻シーターを奪還するため、 ハヌマーン神をはじめとする神々が進軍した海が一望に開ける。
インド七大聖地とも四大聖地ともいわれるこの地で沐浴をし、 濡れた髪のまま安ホテルの一室に戻って、聖者は最後のリンガムを物質化した。
通常の三倍の期間、断食を続けて出たこのリンガムは、それまでの数倍の大きさだった。
こうして形をとられたシヴァ神は、『日本の大地と海をなだめるため、 いつも(自分を)水につけておきなさい』と言われたという。
東日本大震災が起こるはるか前のことだ。
また、『将来、ふたたびここを訪れるとき、ナヴァグラハ(9つの惑星の神々)に命じ、 わたしが恩寵を与える』という予言を、聖者を通じて残された。

その後、予言の葉のなかでこの聖地巡礼が指示されるのを私は長い間待ち望んできた。
京都や四国、伊勢神宮に行くようにという指示がしばしば出るのに、 「出雲大社」は長い間でなかった。
しかし震災で一人残された和芳ちゃんが山陰に引き取られて行った後、 『Izumoに行くように』という予言の文言が出始めたように、 今回、この大聖地の名前が出たのには深い意味があるはずだ。
ちなみに予言は、九つの惑星の神像の沈む海に浸かるようにと指示している。
『惑星からのよい影響を最大限増幅し、悪い影響を遮断する』ためだ。

今回の巡礼旅行も、インドと日本の両方でたくさんのことが準備され、犠牲が捧げられて、 やっと今、ご紹介することが可能となった。
期間は当初の予定より後ろにずれて、A)6月2日(金)~9日(金)、またはB)11日(日)まで。
ラメーシュワラム以外に、Aコースではチェンナイからクーダラヤットゥ、ティルチラッパリ、 マドライ、ティルチェンドール等、南インドの主な聖地を訪れ、 Bコースではその後、北上して聖地ベナレスとガンジスの聖大河を訪れる。
(これら巡礼の間に、私たちと神々との間に“特別な交わり”があることが予言では語られている。)
これらの訪問地についても、ここでは書き切れない逸話と思い入れがあるので、 それらは旅行中にお話ししたい。

また今回、私個人はいまだかつてない規模の壮大なホーマをお捧げすることになった。
“財宝の神”クベーラに捧げるこのホーマの初回を、 できればこの巡礼中に行なっていただけるよう検討している。


第166号(2023年4月16日配信)

『春の夢』

私の中学の入学式は4月7日であったと記憶しているが、
この日、校庭は桜が満開だった。

同じ日、そこに初めてお会いする大木章次郎神父の姿があった。
カトリックの男性聖職者がつけるローマン・カラーが、
初めて見る私にはなにかしら不思議なものに見えた。
大木神父は、クラス担任と、倫理を受け持たれたが、
最初の授業は背広とネクタイでおいでになった。
「ローマン・カラーとどちらがいい?」
そう聞かれたので、私は躊躇うことなく、
ローマン・カラーのほうに手を挙げた。

後に、生徒さんの一人がマザーテレサの修道院に入り、
ローマで誓願式が行なわれたとき、
ヴァチカン周辺の聖品・聖具屋さんをまわった。
ローマには、さすがに質の高い聖母像や、聖画など数々あって、
興奮が抑えきれなかった。
カトリック司祭が着用するローマン・カラーと、
そのための上着が売られているのを見てしまったのはこのときだ。
さすがに躊躇した。……が、
この機会を逃せば二度とないと思い、思い切ってそれらを買った。

翌年、ヨーロッパのキリスト教の聖地を巡る旅で、自由時間に着てみた。
フランスは、モン・サン・ミシェルの島。
すると過去世の記憶が突然、怒濤のように押し寄せてきて、
かつてそれを身につけていたときの情景がありありと目に浮かんだ
……かと思えば、そういうことには全くならなかった。
ならなかったが、しかしそれは心躍る時間だった。
なにしろ中学・高校の6年間、
将来これを身につけたいと憧れ続けていたのだ。
上京してきて、『あるヨギの自叙伝』を読み始めるまでは……。

ローマン・カラーを身につけてモン・サン・ミシェルを散策したとき、
しばらくは夢見心地でいたのであるが、
お店に入ると、店員さんが「Padre(神父様)!」と呼びかけてくる。
東洋の異国から来た司祭だと思ったのである。
この出立ちでは、そう思って疑わないだろう。
まさかヒンドゥ教徒が神父に化けているとは。
(人さまを騙してしまっている……) そう感じてしまい、
それ以来二度とこれをつけることはなかった。
その代わりなわけでなく、それにやや似たイッセイ・ミヤケを、
もう30年近くも着続けているのだが、イッセイ・ミヤケを着ていても、
ヨーロッパでPadre! と言われることがあるのには驚く他ない。

最近、妙に暖かい日が続く。
そう思っていて気がついてみれば4月も半ば、春が来ていた。
夢中で日々を送っていると、そんなことに気づく余裕もない。
イッセイ・ミヤケを着た私を司祭と思うキリスト教徒がいるように、
これを“充実した”生活というのか、“貧しい”生活というのかは、
自分でもよく分からない。


第167号(2023年5月24日配信)

エッセイの掲載はありません。


第168号(2023年10月10日配信)

『原因と結果の法則』

コロナ禍が表面的には過ぎ去り、ふたたび以前のような経済活動が可能となったように見えるが、相対界はなかなか一筋縄ではいかない。

「手塩にかけて育てた社員にかぎって、さっさと辞めて独立していくんですよね」
そんなことを最近、会員の方から聞いた。
有望な社員がいて、先輩や、場合によっては社長自身が目をかけ、懇切丁寧に教え込む。が、有能な者ほど機を見るに敏で、チャンスがあればさっさと独立していってしまうというのである。
「会社のノウハウや情報を、まるで盗むようにしてもっていかれると、さすがにショックを受けます」
その気持ちはよく分かるし、人ごとではない。だが、彼はこうも付け加えた。
「でも、そういう人はだいたいすぐに失敗するんです」

少し違うが、『あなたのアガスティアの葉お読みします』というのをネットで見たことがある。出していたのは、以前にここで予言の葉を読まれた方だった。
驚いたことに、私がお渡ししていた紙の文章が延々と流用されている。聖者や聖典、ヴェーダ科学についての私の考えまで、見事にそのままだ。うんうん、そうそうと思いながら見ていると、料金体系だけ違っていて、法外な値段が設定されていた。さらには、(人のものをもってきた)これらの情報は、他には漏らさないようにと書かれている。こんなことをされたら、この方は否定的なカルマを背負い込むことになってしまう、なんとか回避できないものかと考えていたら、残念ながらその通りになられた。
予言の葉を正確にお読みするとか、その内容を適切に解釈し、パリハーラムのための儀式や慈善を正しく行なっていくのがどれほど大変なことか、彼女には想像できなかったに違いない。私はそのために、人生の半分の時間を血の出るような思いで費やしてきた。そうして、結果的に莫大な授業料を払われるのも本人の責任だとは思うが、後から泣きつかれてもどうすることもできない。それより、知らずにいい加減なものを読まされた人たちこそ大迷惑だったといえる。

どんな世界にも、いつの世も、世話になった人を裏切っていく人というのはいるものだ。人は、よくしてもらえばもらうほど、さらに親しくもなってくれば、それを当たり前だと思うようになるからだろうと私は思う。以前、そんなことを考えていたとき、次のような予言の文言が出てきた。それは、聖書に出てくる教えと結局同じなのだが、太古の聖典ではなく現在形で読んだ私は思わず身震いしてしまった。 『おまえにもそういう“弟子”がいることは知っている。その者のためにおまえが祈っていることも。だが、たとえそうでも、わたしは罰する』――

神のご意志は、計り知れない。子どもと同じで何も分からない私たちには、どうか寛大なご沙汰を……。そんなことを思っていたところ、昨年から今年にかけて次のような指示があった。
『おまえが愛する生徒らの成功と繁栄のため、盛大な儀式と慈善を行ないなさい』
その具体的な記述を読むために、インドと日本で儀式や巡礼、断食が繰り返し行なわれ、結果、「葉の礼拝の儀式」は7月と8月の特定の日に日本で行なった。その後、インドで処方されていたのは(相対界の8つの側面を象徴する)美と富の女神アシュタ・ラクシュミと、財宝の神クベーラに捧げられるホーマである。なぜ今、富の女神と財宝の神なのか、なぜ空前の大ホーマなのか、われわれには想像がつかない。だが、現在進行中のそれらにより恩恵を受けられたらしい方が、すでに何人かおられる。
 
『このホーマを来年初1月5日~6日にかけて行ない、その際には皆さんをわたしの国(インド)に連れて来るように』と指示されている。場所はラマナ・マハリシの聖地ティルヴァンナマライで、南インドの各地から僧侶百数十名が集まられる。お付きの者を含めれば大変な数で、この大ホーマを記念してインド国内や海外から、いつも私たちの巡礼を助けてくださる政治家や実業家、敬虔なボリウッド・スターの皆さんもおいでになる。そのため、周辺のホテルの多くを抑え、同時に巡礼するべき寺院群も指定されているので、それに基づき私たちの旅行全体の予定も組まれた。

聖地には、それぞれの神々や聖者とご縁のある人たちが呼ばれるというが、過去の経験からしても、これだけの力が集結すると、予言されているような奇跡も“自然に”起きそうに感じられる。
ふたたび、神を敬う皆さんとこれらの体験をすることになると思うと、今から心の高揚を抑えきれない。


第169号(2023年10月24日配信)

『原因と結果の法則 2』

大変有り難いことに、最近電子書籍化した『祈りの言葉』に、何人かの方がレビューを書いてくださった。ある方は、そのなかでも、
『どうか、自分が傷つくまで
  与える勇気をお与えください』(紙の書籍版 76 頁)
という言葉が一番心に刺さったとお便りくださった。
これを言ったのは、あのマザー・テレサだ。
ここから容易に推察できるのは、あのような偉業をなし遂げた人にして、人びとに与えて与えて与え尽くしてなお、傷つかれることがたくさんあったのであろうことだ。

ちょうど前回メルマガのエッセイでは、よくして差し上げた人ほど、裏切るときには盛大に裏切っていかれる、というお話を書いた。
長いあいだ心に秘めたことを相当に躊躇しつつ書いたが、その後、何人もの方から「実は私も同じことで苦しみました」といわれた。
そういうことが、人間社会ではどうしても起こる。
逆のことを自分も過去や過去世のどこかで知らずにしたかもしれないし、そうしたことのないようにしなければと思わざるを得ない。

今回のパリハーラム(ヴェーダの儀式や慈善的な活動等による処方箋)、特に来年1月に行なわれる壮大なホーマについては、『生徒たちの成功と繁栄のため』という明確な目的が記述されている。
この旅行にお申し込みの方から、以下のようなメールが届いたので、こちらも慎んでご紹介したい。

『ようやく先生の巡礼に参加させていただく機会ができました.
今回の巡礼は,「生徒らの成功と繁栄のため」という目的のようで,大変ありがたいことですが,個人的には,今回の人生では,すでに十分に恵まれたありがたい生活を送らせていただいておりますので、自分のことよりも,やはり,今回の人生で自分が失敗したこと,人のためにできなかったことなど,他の人々と世界の平和にお祈りを捧げるための巡礼旅行にしたいと思っております.
なお,母の状態も不安定な状況ですので、申し込みをさせていただいても無事に参加できるかどうか,参加できても外国旅行中に母親の状態の急変がないかどうか...などの懸念がいつもありますので,何とか無事に行って帰ってこれるようにこれから毎日お祈りしたいと思います.
巡礼に参加できるのを楽しみにしております.』(原文のママ)

社会的にきわめて高い地位にあられる方だが、地位や名誉、性別その他に関係なく、多くの皆さんが同じような心持ちでいてくださることに心から感謝したい。
私たちの巡礼がいつも思わぬ恩寵に充ちたものとなるのは、皆さんのおかげだ。
そういうことではじめて、このような一連の難しい“仕事”が私にも続けていられると、正直、ときどき思うのである。


第170号(2023年11月28日配信)

『報恩』

長かったコロナ禍を経て、皆さんの予言をお読みしている。私たちにはそれぞれの過去世があり、自然の法則に沿った行為も、反した行為もさまざましてきているので、その反作用もまた、さまざまだ。

あるとき、私の本の巻末にもしばしば登場してくれる社長さんに突然、『貧しい人のために家を建てなさい』という勧めが出た。彼は都内の一等地で、老舗の不動産業を営んでいる。『瞑想の師に相談して決めなさい』とも書かれていたが、私自身、どうするのがよいか迷っていると、ご本人は「九つの惑星の神々と関連した予言だったから、9軒建てましょうか!」と気楽に言われた。9軒となると、インドでもかなりのものだから、あくまで冗談だったと思う。
そうこうしていると、続いて次の予言が出て、こう書かれていた。
『そう、本人の望みどおり、9軒建てなさい』

うち一軒については、入居の際の儀式に自ら参列するようにと書かれていたので、さまざまに計画が練られ、一年後、『大いなる生命とこころの旅』のなかでそれは実現した。ピカピカの新居に入られるのは、年老いたご夫婦だった。
「お歳、行き過ぎてない?」と言うと、予言の読み手は、「一番敬虔な人を選んだ」と胸を張った。
式の最後、バスがもう出なければならないという時間になって、老夫婦はどうしても一曲献上したいと言い出した。正直、困ってしまったが、どうしてもと言われるので、皆さんにはバスに移動していただき、私と社長さんだけでその歌を聴いた。かすれ声で、決して上手いとはいえないが朗々と歌われたその意味を後で聞いたとき、私は泣きそうになった。それは、この家を贈った敬虔な社長さんに相応しい歌だった。
『私は、このご恩を忘れない
 今生の、死ぬまで忘れない
 今生が終わっても忘れない
 生まれ変わっても忘れない
 そうしてあなたを見つけ出し
 ご恩を返すまで忘れない……』

アフリカに行ったとき、キンシャサでも、学校のあるバンドゥンドゥでも、現地の修道院に泊めていただく。下手なホテルに泊まるより、そのほうが安全なのだ。
修道院の近くにはカトリックではない別の教派の教会堂があり、そこでは毎夜、歌が歌われている。おごそかな聖歌……というよりは盛大な歌を耳にしながらしばしば眠りに就くが、歌はその後も続いていて、ある朝4時頃起きたらまだ歌っていた。平日である。
「あの人たちは、あんなに夜通し歌って、翌日の仕事はどうするのですか」と聞くと、修道士の一人が答えてくれた。
「あれは、男たちの気晴らしなんだよ」
仕事のない男たちが、他にすることもなく、教会堂に集まっては盛大に歌を歌い、朝になると帰って寝るのだという。
では、生活はどうしているのか……。それについて、毎日、修道院に掃除に来る子どもがごく普通に言った。
「となりの奥さんは、毎晩“仕事”に出てるよ」
聞けば、それは“人類最古の仕事”だという。夫は知っているのかといえば、当然知っていて、しかし生活のために見て見ぬフリをしている。
そうした家で育った子どもが読み書きや算数を自然に習得していくはずもなく、世界有数の資源大国であるこの国の人びとは、かつてベルギー王による圧政に苦しんだ歴史を引き継ぎ、いまだに搾取され続けている。

私たちがやっている学校は、今やその評判とともに、良家の子女も入れてほしいと申し出られるようになった。 それでも、やはり授業料の払えない子どものほうが多く、放っておけば文盲のまま仕事につけないか、苦しい肉体労働だけして一生を過ごすことになる。
だが、そうした私の“子どもたち”のなかから、今に現状を打破し、改革してくれる人材が現れると私は信じている。実際、卒業生のなかには、この学校で教鞭をとりたいと言ってくれる優秀な子が出てきたし、神学校に進んで司祭や修道女になる子も現れるかもしれない。
皆さんが今、助けた子どもたちは、自分や家族だけではなく、他の人びとを助けて、地域や、国全体をよくしようとするに違いない。勉学だけではなく、そのような人材に育てるよう、私はいつもシスターにお願いしている。

いつの日か、私たちが鬱陶しい肉体の衣を脱いで天界の門を叩くときを、ときどき想うことがある。
そのとき、肌の色の濃い案内人がどこからともなく現れるかもしれない。ちょうど今、インドに行くと、知らない、貧しい人たちが私たちを歓迎してくれるように、彼らは私たちを最大限の礼もて通すよう、天界の門番と折衝してくれるかもしれない。門番はペトロやパウロ、または死の神ヤマかもしれないが、かつてイエスが言ったように『父の国では、これらの小さな者たちが最も偉大なのだ』。
それぞれと縁の深い聖者や神々がそうしてくださるように、皆さんが今、助けた人たち、その人たちがまた助けた人たちは、皆さんのことを忘れない。死んでも、天界でも、そして生まれ変わっても、その魂が忘れない。


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