青山圭秀エッセイ バックナンバー 第121号 – 第130号
最新号へ第121号(2019年4月3日配信)
『抽選』皆さんに瞑想をお教えしていると、時折、
私が特別にしなければならないことが書かれた予言が、
探そうとしなくても出てくることがある。
『来年の末までに、祖国とおまえの弟子たちのために三度、
大きなパリハーラムを行なうことになる。
弟子のなかに、予期せぬ困難に遭遇しようとしている者がいるからだ。
彼らは、それに気づいていない』
この予言がでてきたのが昨年の2月、
タミル暦で“来年の末”は、今年の4月13日に当たる。
『(三つのパリハーラムのうち)最初のものを探すのは困難が伴う。
出てきたとしたら、それはあなた方の幸運を示している……』
これを探すために私と予言の読み手は質問を立て、
まずその答えが書かれた葉を探し出して、
そこに指示されていたさまざまな儀式や断食、慈善を行なった末、
最初の処方箋が出てきた。
インドで行なうことのなかに、
女神に一日、祭礼を捧げるというものがあった。
当日、ポンディチェリの村で、寺院から出て民家の祭壇に移られた神は、
家系を引き継ぐ一人の男に乗り移ると、
私たちの一人をじっと見つめて話しかけてきた。
それはまさに、予期せぬ困難に遭遇していた方だった。
『なんでも、私に聞くがよい……』
そう言われた神は、彼女の質問に答えた後、ふたたび祭壇に戻られ、
その日一日、われわれの捧げる祭礼をお受けになった。
その後、昨年の間に二回目のパリハーラムが行なわれ、
そうして予言されたとおり、今回、去年から数えて三回目のパリハーラムが出てきた。
それによると、私は、5月から6月にかけてインドを巡礼しなければならない。
どこに行くのか、どのような儀式や慈善を捧げることになるのかについては、
さらに別の予言を残してある……とのことだった。
2008年、われわれがインドに建立した寺院を開くための落慶式が行なわれた。
それから10年が経ち、次の星回りが巡ってきた。
そのための儀式と、皆さんのパリハーラムのため、
今年の『大いなる生命とこころの旅』は、8月最終週を想定している。
ラマナ・マハリシの聖地アルナーチャラ山を歩いて巡礼し、
カンチープラムで聖なるシャンカラチャーリヤの謁見にも与る予定だ。
しかし今回、その前にもインド巡礼を行なうように、
そしてこの旅には「“弟子”を連れて行くように」ということが指示されていた。
これを読み解いた予言の読み手は、原文の示唆に基づき、
連れて行く弟子を「抽選」で選ぶようにと勧めた。
4月14日(日)、タミル暦の新年とともに、神の化身・ラーマ王子の聖誕祭が訪れる。
この日はヴェーダの解説、皆さんとご一緒に行なう瞑想以外に、
神の讃歌を歌うようにという指示があったので、
その道の方に来ていただくべく準備を進めている。
その後、神々にお捧げした食事をいただく。
上記パリハーラムのための「葉の礼拝の儀式」は、
4月28日(日)、<Art3>完成編終了後に予定している。
この日は、アビシェーカ・プージャに加え、神々のご像、ご絵を大量の花々で埋めつくす
プシュパンジャリ・プージャも行なわれる。
春が訪れ、久しぶりにセミナーに出て瞑想もしてみようかと思っておられた皆さん、
平成の御代の最後、<Art3>をとろうか、
または再受講しようかと思っておられた皆さんには、
この機会にご参加いただきたい。
そのなかから、この旅に同行していただける方、同行しなければならない方を
神々がお選びになるものと信じ、
私も今からわくわくしている。
第121号追加(2019年4月9日配信)
『抽選 2』現在は月に一度、日曜日のセミナーで『あるヨギの自叙伝』を解説しているが、
昔『バガヴァット・ギーター』の解説をしていた頃、こんなメールが届いた。
「私たち夫婦は共働きで、土日はともに仕事です。
平日の夜、セミナーを行なっていただけないでしょうか」
セミナーは土日とばかり思っていたが、そうか、そういう方もおられるのか……
ということで、木曜夜の時間帯に『バガヴァット・ギーター』を移し、
日曜日は代わって聖書の解説をすることにした。
すると当然、平日夜では聴きに来れないという方がいた一方、
ご提案の御夫婦は、しばらく木曜日においでになっていた。
が、ほどなくしておいでにならなくなり、そのうち完全に姿を消してしまった。
人生、そうしたものだと思いはしたが、しかしもとより、
皆さんそれぞれのご要望のすべてに応えることは、
したくてもできないのだという一つの貴重な学びとなった。
今回、インドにお連れする方を抽選で選びたいとエッセイに書いたところ、
「それは公平ですね」ではなく、
「東京近郊にお住まいの皆さんに有利な選び方です」というご指摘があった。
「もちろんみなさんは『すべては神の采配』とお考えになられるでしょうし、
実際そうなのでしょうが……」とのただし書きもついていたが、
そういう意味では、今回のことはシヴァ神による予言に示唆されていたので、
『神の采配』下にあるのはたしかだ。
しかしそれでも、日頃より、遠方の皆さんがセミナーや瞑想講座に
参加しにくいという事実は私もひしひしと感じており、
なので地方での瞑想講座の際には規定の人数に満たなくても開催したり、
遠方にお住まいの皆さんに何かと便宜をお計りすることもなくはない。
もとより、今回の抽選も、神聖なことではありながら、
“平成最後の運試し”といったふうに心楽しく捉えてもいただきたいし、
いずれにしてもすべての皆さんにご満足いただく方法はないのであるが、
しかし一方では、このおかげで
平成の最後に不公平感が残ったと言われてはシヴァ神に申し訳が立たない。
そこで、スタッフと一緒に改善策を考えた末、
抽選の方法、および参加条件を多少変更させていただくことにした。
特に、7月に神戸で<Art3>を受講される皆さん、
14日に東京に来られないがセミナーは聴きたいという遠方の皆さんは、
<事務局からのお知らせ>(5と7)に目を通していただければと思う。
国の税制が一つの典型であるが、さまざまなケースを想定し、
キメ細かい対策を講じていくと徐々に複雑になってきて、
結局「難しくて分からない、もっと簡潔に言え!」ということになる。
「公平」を追求すれば方法や記述が複雑になるのは避けがたいということで、
ご容赦いただけたらと思う。
さらに、この措置により抽選の参加者がやや増えることも想定されるので、
シヴァ神の指示よりも多くの方をインドにお連れすることを検討している。
なお、14日(日)のセミナーにおいでになる皆さんには、
終了後、インドの神々の讃歌・バジャンにご参加いただくことになる。
タミルの新年とラーマ王子のご降誕をお祝いする日でもあり、
その道のボランティアの皆さんにも来ていただくので、
サリーやパンジャビ・スーツ、クルターパジャマ(普通のパジャマではない……)で
来ていただいても華やぐかと思う。
第122号(2019年4月24日配信)
『平成』子どもの頃、何を思ったか父に、「天皇陛下は死なないよ」と言ったことがある。
それに対して父は、「陛下も人間だから、いつかは亡くなるんだよ」と教えてくれた。
時代が昭和から平成へと代わった1989年、
それは突然のことのように私には思われた。
当時闘病を続けておられた昭和天皇が亡くなるというのが、
避けられないことであるのは頭では分かっていても、
御代が代わるなどということが想像できなかったのだ。
『新しい元号は、平成でありますっ』と、小渕官房長官が墨書を掲げたとき、
私は最初の博士論文の執筆中であった。冬の寒い時期、毛布にくるまれながら、
それまでに海外の学術誌に掲載された英文の論文を一つのテーマのもとにまとめ、
一冊の博士論文にしたとき、その厚みが5センチを超えたのに自分で驚いた。
元号が代わった年、私も大学院博士課程を修了して、新しい人生が始まっていた。
ベルリンの壁が崩壊したのは、その年の冬のことだ。
翌、平成2(1990)年には湾岸戦争が勃発して、バブル景気が崩壊した。
日本社会は、空前の好景気から一転、不況のどん底にたたき落とされたが、
その後、失われた10年、失われた20年……
と呼ばれる時代がまだ始まったばかりであるとは、
このとき、誰も想像できなかった。
そんななか、私は生まれて初めてインドを訪れ、
サティア・サイババにお会いすることになる。
『理性のゆらぎ』を上梓したのは平成5(1993)年で、
あいだ3年の隙間があるが、そのほとんどの期間は執筆ではなく、
これを出してくれる出版社を探すことに私は苦心していた。
平成7(1995)年1月には阪神・淡路大震災が起き、さらに3月、
オウム真理教が地下鉄でサリンを撒くという事態が発生した。
その頃、私自身は予言の指示により、
48日間、南インドはクットララムに籠もって滝業を行なっていた。
平成13(2001)年9月、一機の飛行機が
マンハッタンのビルに衝突するという事故があった。
ニュースを観ていたら、なんと二機目もその隣のビルに突っ込んでいく。
それがテロであることに初めて気づき、
すぐにロセンザルスの大学の同僚に電話すると、
なんと彼はまだそのことを知らず、台所で人参ジュースを飲んでいた。
私からの電話で、彼はのどかな一日の始まりに終止符を打つことになる。
100年に一度の世界恐慌の再来かといわれたリーマンショックは、
平成19(2007)年9月のことである。
もともと、世界中の金融商品に組み込まれたサブプライムローンに問題があることは、
長く指摘されてきていたものの、
実際にこれほどの信用収縮が一気に起こると予想できた者はいなかった。
24時間のうちに手を打たなければ、メリル・リンチも、バンクオブアメリカも、
AIGも、もしかしたらJPモルガンも、みな倒産したかもしれない。
最終的に、それをくい止めたのは、公的資金の注入という、
モラルを度外視した手法であり、それが唯一の選択肢だった。
このとき、貧しい人びとは口をきわめて言った。
自分たちが破産しても誰も助けてくれないのに、
なぜ金持ちの銀行が倒れようとしたら政府が税金で救済するのか?
しかし実際は、そうしなければ、世界経済は破綻して、
貧しい人びとこそがもっとも苦しむことになったはずだ。
だが、金融危機はある意味、まだよかったとも言える。
平成23(2011)年3月、東日本大震災が起き、
多くの尊い人命が失われ、いまだに仮設住宅にお住まいの方もいる。
同じ年の4月24日、昭和天皇のときとは対照的なことが起きた。
直前、はっきりした報せがきて、
サティア・サイババが肉体の衣を脱ぐことが告げられた。
8年前の今日のことだ。
今回のパリハーラムを行なうようピンポイントで指示されたそのときが、
平成の時代の最後であることを、聖者や神々はご存じだったのであろうか。
しかもその方法として、プシュパンジャリ(花々の)プージャという、
日本ではまだ行なったことのない、華やかな儀式が指定されていた。
この儀式を、4月28日(日)、<Art3>の後で行ないたいと思う。
参列を希望される<プレマ倶楽部>会員の皆さまは、
お申し込みの上、17時半少し前くらいにおいでいただきたい。
会場が狭いので、ご不便をおかけすることになるかもしれないが、
それでもなお、ご参列いただいて、
過ぎ行く時代の最後に神々の恩寵を受け取っていただけたら、
また日本や世界のためにご一緒にお祈りいただけたらと、私は思う。
第123号(2019年6月13日配信)
『巡礼』東京オリンピックまであと〇〇日……。
それは忘れもしない、半世紀以上も前、
保育園に通っていたころに聞いていたフレーズだ。
翌年、東京オリンピックが開催された。
三宅義信が重量挙げで金メダルをとり、
表彰台の上で嬉しさのあまりメダルをかじってみせた……
はずもなく、三宅はそれを手にとって、人びとに見せる仕種をしたのであった。
「三宅が、金メダルを見せております! 金メダルを見せております!」
と、感激したアナウンサーが絶叫したのを覚えている。
生きている間に、もう一度東京オリンピックが開催されるとは思わなかった。
そして、個人的なことではあるが、母にはなんとかそれまで生きてもらって、
もう一度オリンピックを見せてやりたかった。
が、その母も昨年の暮れに亡くなった。
そんなことは天界においては最初から分かっていたことなのであろう、
今回のインド巡礼においては、直前になって、
「亡くなった母親の遺灰を持参し、プージャを行なってガンジス河に流すように……」
という指示が現れた。
また、当初は不可能と思われたが、私の姉も参加できることとなり、
二人で両親の遺灰をガンジス河に流すことができた。
連日、42度、43度の猛暑なのに、
参加された皆さんは誰一人不平不満を口にすることもなく、祈りに沈潜された。
そんななか、8月の巡礼旅行の準備が進んでいる。
久々に訪れる聖地カンチープラムではシャンカラーチャーリヤに謁見、
ヴェロールの黄金寺院では、女神ナーラーヤニの精巧な像を土中から湧きださせた
聖者(この方もナーラーヤニと呼ばれる)にお目にかかる予定である。
20世紀の大聖者ラマナ・マハリシが瞑想に浸ったアルナーチャラの山を散策し、
また、8月28日(水)に予定されている、
かつてわれわれが建立した寺院のクンバ・アビシェーカム(第二の落慶式)、
さらにはラージャ・マータンギーの大ホーマがどのようなものになるのか、
私自身関心が尽きない。
この巡礼もまた、参加される誰にとっても、これまでに増して聖なるものとなるよう、
今から祈ってやまない。
第124号(2019年6月29日配信)
『解脱』インドの聖地ヴァラーナシーを巡礼した5月、
移動中の車のなかで、いつもセミナーなどを聞きにきてくれている皆さんに尋ねてみた。
「ヴェーダでいう、人生の4つの目標は何ですか?」
ある方が「ハイッ」と手を挙げて答えた。
「それはまず、食べることですッ!」
車のなかは即座に爆笑の渦と化した。
「では二番目以降は?」
「ハイ、二番目は寝ること、次に排泄すること、そして最後に・・・・・・」
これほど笑いの絶えない巡礼も珍しい、そんな旅となった。
ヴェーダでいう人生の4つの目標、それはダルマ(今生の使命を完遂すること)、
アルタ(富、財を蓄え、よい目的のために使うこと)、
カーマ(人を、生きとし生けるものを愛し、愛されること)、
そしてモークシャ(悟りを啓くこと)である。
どれ一つをとっても語り尽くせないし、達成は容易でない。
特に最後の目標であるところのモークシャはそうだ。
だが、インドの古い言い伝えによれば、
それだけで解脱を達成することのできる聖地があるという。
『ティルヴァルールに生まれる、
チダンバラム(の踊るシヴァ神)を見る
ヴァラーナシーで死ぬ
アルナーチャラにいたっては単に(そこで)想うだけで、解脱が約束される』
これにもう一つ、
カンチープラムで聖者(シャンカラーチャーリヤ)に会うことを加える人もいる。
聖者アガスティアと、シヴァ神の指示により、
8月の巡礼では、これら5カ所のうち3カ所を訪れることになる。
シャンカラーチャーリヤにお目にかかり、
チダンバラムでは壮大なホーマに与る。
アルナーチャラ(ティルヴァンナマライ)では大聖者ラマナの眠る場所で瞑想し、
そして、ヴェロールで私自身もその存在を最近まで知らなかった聖者に
初めてお目にかかることになる。
聖者はシヴァ神の降臨を得た後、水も食べ物も口にしなくなった。
シヴァ神のご指示は、ただ、やってくる人びとを救うという一点にあったという。
人のカルマを取り除くのは決して単純な話ではないが、しかしそれがこの聖者の使命だ。
聖者ご自身は多くを語られないが、シヴァ神の指示された山には、
多くの人が知らぬ間に寺院が建立された。
インド18人のシッダ(覚者)に続く、19番目の方だと言う人びともいる。
それぞれ、その一つだけを目的に巡礼を行なっても
退屈することはないであろうことのすべてが、
なぜ一回の旅行に重なったのかは分からない。
当初は私自身、これが現実のものとなるという気がしなかった。
しかし現に今、この旅が行なわれようとしているのは、
聖者や神々のご意志であったとしか言いようがないと思っている。
尚、明日30日(日)のセミナーでは、
『あるヨギの自叙伝』より、神の意志が相対界に顕れ出る際の
まことに霊妙な法則について学ぶことになる。
この旅行についてのご質問があれば、<瞑想くらぶ>の間にお答えしたい。
第125号(2019年7月24日配信)
『黎明』『瞑想の師が、一カ月以内にわたしの国に来る。そのとき……』
今月12日、ある方の予言を読んでいると、こんな記述が登場した。
8月最終週に皆さんと行くインド大巡礼旅行までには、まだひと月半ほどあった。
聖者といえども何千年も前に予言しているから、半月くらいのズレが生じるのか。
または、インドの暦は、月の変わり目が西洋の暦と違うからなのか……。
そんなことを思っている間に、シヴァ神による予言に別の指示が出た。
『8月8日までにカンチープラムに赴き、バラジ神の祭礼に与らなければならない……』
バラジ神の祭礼??
何が行なわれているか、私はまったく知らなかった。
伝え聞くところでは、シャンカラーチャーリヤのおられる聖地カンチープラムに、
聖なる池があるという。
池にはバラジ神の像が沈められているが、
この像が40年に一度、引き上げられ、一マンダラの期間すなわち48日間、
僧侶らによる特別な礼拝・プージャが執り行なわれる。
ちょうど現在がその期間に当たり、すでにインドの首相、大統領らが礼拝に赴いた。
それを行なうようにという指示であるが、
日々、数十万の人びとが押し寄せているらしく、
分かっているだけですでに4人の方が亡くなっている。
死因は、ダルシャンの列に並んでいる間の窒息。
炎天下、待ち時間は7時間にも及ぶというので、
聖サバリ山に登るときほどではないにしても、過酷な行だ。
私には一日しか時間がないので、
現地警察や政治家らの助力を得てこれを行なうことになる。
不思議なことに、このバラジ神の像は、木でできている。
それを池に沈めて、通常なら腐らないはずがないのであるが、
しかし考えてみれば、そもそもバラジ神は「お金」と「愛情」の神である。
相対界の対極にありそうなこの二つの原理をお一人の神が統治されているというのだから、
そのこと自体が奇跡と言ってよい。
木が腐らなくとも、かつてあったようにバラジ神像が生身のサイババに姿を変えようとも、
怪しむに足りない。
予言によれば、このバラジ神の祭礼が、
祖国と弟子たちのために行なわれる次のパリハーラムの最初であり、
皆さんと行く8月の巡礼旅行の準備でもある。
(8月の旅行前に私がしなければならないことは他にもあるらしいが、
その詳細はまだ分かっていない。)
8月の旅行においでになる皆さんは知ってか知らずか、
実はその大きな使命の一翼を担っておられるのであって、
個別生命のレベルで何かをしに行くということではない。
神聖な旅を前に、聖者アガスティアとシヴァ神から、以上のことが語られた。
28日(日)の『あるヨギの自叙伝』では、
師が弟子のためにカルマを肩代わりするという、実際の事例が登場する。
先月読んだ部分で、誰もの中に残ったであろう根源的な疑問を解く鍵となる話なので、
先月おられなかった方にも理解できるよう、新たな側面から解説を始めたい。
第126号(2019年8月14日配信)
『黎明 2』『瞑想の師が、一カ月以内にわたしの国に来る』
『8月8日までにカンチープラムに赴き、バラジ神の祭礼に与らなければならない』
インド大巡礼旅行を8月末に控えながら、このような予言の指示を受けて、
8月4日、私は日本を発った。
この頃までに、群衆の数は日々、30万人に膨れ上がっているという情報が入っていた。
現地では警察と、日本でいうところの通商産業大臣が
われわれの困難なミッションを助けてくれるはずだった。
が、大臣自身は選挙のため来ることができず、息子を代理でよこしてくれた。
それに加え、われわれのインドでの活動をいつも助けてくれている、
何人かのスタッフもついてくれた。
現地では、あまりの混雑に死者が出ているということだった。
死因は「窒息」だという。
実際、われわれが通ろうとしたVIP専用のゲートでも、
なんとかして中に入ろうとする人びとと、
それを押しとどめようとする警官との間に怒号が飛び交い、
私を守ろうとした予言の読み手も揉みくちゃにされてしまった。
小一時間ほど待って中に入ると、柵で仕切られた向こう側に、
一般の人びとの列が見えた。待ち時間は5時間だという。
……が、実はこれも特別な列で、本当の列は長さ数キロにも及び、
一日で神像の前にたどり着くことはできないという有り様だった。
それを考えると、私たちが“ほんの”数時間で中に入れたのは、
申し訳ないことだった。
しかし正直、ここで一夜を明かすというわけにもいかない。
翌日の午後にはもう、日本に向けて発たなければならないのだ。
ついに神像の前まで到達したとき、
そこには40年間、湖底に眠っていたヴィシュヌ神がたたずんでおられた。
黒檀のような艶やかな肌に、額にはヴィシュヌ神の銀の紋章、
黄金と花々で飾られた王冠と、神聖な紫のショール……。
ご像自体は、たしかに木でできているようだった。
が、いったいなぜ、そのようなことが可能なのか……頭では理解できない。
しかし、この像を礼拝するために、いまや人びとは一昼夜の列をつくるのだ。
ふいに、像を護っている僧侶の一人が、私を祭壇の前に導いてくれた。
まさに、聖なるヴィシュヌ神像の目の前だ。
咄嗟に、困難な情況にある生徒さんや、
お世話になって御礼のしきれない友人、知人の皆さんのことを思い出す。
さらにはまた、私を不断に苦しめてやまない人に至るまで、
すべての人びとに幸あるようにとお願いをした。
この巡礼の次に何をしなければならないのか、
その記述が出てきたのは一昨日のことだ。
祖国と、世界の情勢はよくない。
特に、自然界に関わる、いまだ知られていない困難がやってくるという。
また、『おまえの国は、あることを禁止、または抑制しようとして、
そのことが新たな問題を引き起こす』
『それらの国はおまえの国を打ち負かそうとするだろう。
困難は、おまえたち一人ひとりにもふりかかる』――
私自身についても興味深い記述があったが、
とにかく、シヴァ神と女神パールヴァティがわれわれのために、
こうして個別の予言を残しておられる。
そこにはまた、私が行なうことの膨大な記述が続いていたが、
その最初のプージャを8月18日(日)に行なう。
この日、私たちが学ぶ『あるヨギの自叙伝』には、
聖者らが、どのようにしてわれわれを守ろうとされるかが如実に描かれる。
彼らは、ときには自ら残した予言のなかで、聖典のなかで、
あるいはまた身体を使って、身体に病気を引き受けながら、
縁を結んだ人びとの苦難を取り除こうとされる。
今回読んだ予言は、まさにそのとおりのものだ。
神々は予言を残され、聖者は身体を犠牲にして、弟子の安寧を計られる。
そのメカニズムを『自叙伝』で学んだ後、
われわれはそのためのプージャを捧げることとなる。
第127号(2019年10月24日配信)
エッセイ掲載はありません。第128号(2019年11月16日配信)
『贈物』8月末、『大いなる生命とこころの旅』の前、私は予言の指示により、
皆さんよりも早く日本を発った。
ちょうどクリシュナ・ジャヤンティ(クリシュナ神の聖誕祭)にあたっており、
サティア・サイババゆかりの地では私を家族のように迎え入れてくれた。
祭壇には、サイババの写真や神々の像の前に、ビブーティやクムクムが物質化されていた。
神の讃歌を歌い、求められるままにスピーチを行ないなどしている間、
祭壇に触れる者は一人もいなかった。が、
祭祀が終り、あらためて祭壇を見てみると、
そこには新たにおびただしい量のビブーティが物質化されていた。
近づくと、ジャスミンの薫りがたちこめている。
司祭が、やおらビブーティに手を入れると、
突然、中から金色に輝くペンダント・トップが出現した。
思わず「おおっ……」と、会衆からため息が漏れる。
司祭は、聖者が私をここに来させたことは知らなかったはずであるが、
それを私に持たせ、「クリシュナ神のハート」をかたどったものですと言った。
サイババの存命中、さまざまな品物を物質化していただいた。
が、死後もこうしてふたたびそれをいただけるとは思わなかった。
以下、近況であるが……
これまで、巡礼旅行などの日程について、皆さまからはさまざまなご要望をお聞きしてきた。
ここ数年は、それらをほとんど考慮することができないまま、
巡礼の日程を決めていく他なかったが、
今回の11月の巡礼をもってその制約がなくなった。
今後はより大きな自由度をもって日程等を決めていくことになる。
アフリカ・プロジェクトのほうは粛々と進んでいる。
すでにお知らせしたように、皆さまのおかげで養鶏場と魚の養殖場は完成したが、
先生たちの給料もなんとか工面していかなければならない。
先生方は学校の性格上、通常よりも低い給与で一生懸命働いてくれている。
この9月には新学期の授業を参観させていただいたが、その熱心さに感動した。
が、今、遅配が数カ月……。
23日(土・祝)のセミナー時にお持ちするヤクが多少でも売れれば
― 薬(ヤク)ではなく、動物のヤクのストールだが ― 、
即、全額をアフリカに送ることになる。
次回のセミナーは、第22章『石像の心』を終える予定だ。
相変わらず奇跡と驚きに満ちたヨガナンダの自伝であるが、
本章もまた、驚きと感動の結末を迎える。
この章はまた、特に神と、神への祈り、
そしてまた結婚ということについて深く考えさせられる。
たまたまこの日は8年前に亡くなられたサティア・サイババご降誕の祝日にあたっているので、
私のほうから皆さまへの感謝をこめ、会場でささやかな贈り物をさせていただきたい。
第129号(2019年12月8日配信)
エッセイ掲載はありません。第130号(2019年12月11日配信)
『感謝』私の長年の友人に中村哲という人がいる。
東大で数学を専攻し、後にインド哲学に転じた。
博士課程を優秀な成績で修了後、サンスクリット学の達人となるべく、
就職もしないで文献の読破に没頭した畏友の様は『理性のゆらぎ』にも書いた。
ちなみに、私が解説時に使った『バガヴァット・ギーター』の日本語訳は、
哲さんによるそれが土台となっている。
また、ラーマクリシュナ・パラマハンサを紹介する際に何度か使った
ロマン・ロランによる伝記は現在手に入らないが、
それも哲さんが、自分が持っているより世の中の役に立つだろうと、
無償で譲ってくれたものだ。
このような現代の仙人以外にも、ハイチのマザー・テレサといわれた須藤昭子医師や、
ネパールの障害児の教育に半生を捧げられた大木神父の知遇を得、
または師事できたのは、生涯の宝だ。
そうしたご縁もあってか、コンゴで学校を作ったときも、
インドやカンボジアで慈善を始めるときも、大きな違和感はなかった。
……というよりも、それらを可能にしてくれたのは、結局現地の人びとであるので、
実際、感謝の気持ちのほうが大きい。
先般、アフガニスタンで銃撃され命を落とされた中村哲さんについては、ご息女が、
「父に本当によくしてくださったアフガニスタンの人たちに、心から感謝しています」
と言われ、涙を誘ったが、彼女にしてみたらそれは偽らざる心情だったろう。
しかしそれにも増して、現地の人びとの感謝の気持ちや慙愧の念はいかほどであろうか。
それが最近のニュースなどにもよく表れている。
個人的なことで恐縮だが、昨年の今日、
福島の小さな病院で母が息を引き取るや、インドの寺院だけではなく、
アフリカの関係する修道院や教会でもミサや儀式を捧げ、追悼してくださった。
葬儀は福島で行なったので東京からでも来るのは大変だったというのに、
コンゴ人の司祭がわざわざ訪れ、祈りを捧げてくれた。
それを空中から見ていたかもしれない母は、
亡くなってなお、目を白黒させていたかもしれない。
その後、ちょうどその時期に工事していた学校の養鶏場が完成して行ってみると、
入り口のところに立派な看板が掲げられ、「Takako Aoyama により寄贈」と書かれている。
驚いた私は、「今からでもなんとかならない?(撤去できないか)」と頼んだが、
現地の人びとは笑いながら、「なんともならねぇよ、先生」の一点張りであった。
生前、私の仕事についてほとんど知ることのなかった母は、
今頃は恥ずかしがって草葉の陰に隠れつつ、
これを寄贈したのは本当は瞑想の生徒さんたちですよと、言って回っているかもしれない。
前回のヤク・ストールのときは、皆さまから多くのお心をいただいたうえ、
お一人でたくさん買っていただいた篤志家の方もおられたりして、
アフリカ・プロジェクトはふたたび軌道に乗ろうとしている。
引き続き、22日(日)にはカシミヤのマフラーとストールを少数ながらお持ちするが、
同じくアフリカで支援している女子修道会が運営する障害児の学校の生徒たちは、
日本の皆さんのためにお祈りをし、クリスマスカードを作製して送ってくれた。
障害のある子供たちにしてみれば、相当に練習も積んだことであろう。
数の関係で、カードは買い物をしていただいた皆さんにおつけしたいが、
前回、サイババの物質化したビブーティをお持ちになっていない方は、
今回、クリスマスの前に是非お持ち帰りいただければと思う。
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