青山圭秀エッセイ バックナンバー 第171号 – 第180号

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第171号(2023年12月17日配信)

エッセイ掲載はありません。


第172号(2023年12月20日配信)

『合理性と純粋性』

王・長島といったとき、今の若い人たちにどれくらいのインパクトがあるのか分からない。 かつては、彼らが日本のプロ野球の、したがってプロスポーツのほとんどすべてと言ってよいような時代があった。
「王・長島の年俸を併せるとなんと一億!」というニュースに驚愕したとき、私は小学生だった。 万という単位にすら馴染みがないのに、そのまた一万倍なのだ。
長島の引退後、王は二度の三冠王を経てホームランの生涯通算記録に挑み続けた。 努力の天才ともいわれたこの人は「世界のホームラン王」と呼ばれるようになったが、しかしその年俸が“億”に届くことはついになかった。

王の引退から20年後、もう一人の天才が海を渡った。
「イチロー」として知られる鈴木一朗は、大リーグに渡った最初の年から首位打者、MVP、新人王、シルバースラッガー賞、ゴールドグラブ賞などを総なめにするという信じられないことをやってのけた。
そうして4年後、ついに年間安打数262という大リーグ記録を樹立する。 ジョージ・シスラー以来、一世紀近く破られず、誰にも不可能といわれていた記録だった。
3年後、イチローの契約が更新されたときの爽快感は、今も忘れられない。
5年で9000万ドル(約110億円)。
「年収500万円なら、弥生時代からかかる金額」とは、イチロー本人の表現だ。
彼はまた、こうも言っている。
「その時、そのとき、やるべきことをやって気がついたら、信じられないような高みにいた」

そうしてつい先日、一人の日本人選手が10年総額7億ドル(約1015億円)という契約を勝ち取った。 年の半分、一日8時間労働として時給700万円、年収500万円なら2千年ではない、2万年かかる。
日本人の平均年俸458万円で2万2200年分、世界のホームラン王の最終年俸1200年分だ。
中学・高校の後輩が広島のプロ球団を持っているが、
「松田クンが10年1000億出せば、カープに来てくれるかもよ」などと冗談を言った私が馬鹿だった。
ただしこの金額、大谷選手自身は、ドジャース在籍中にはほとんど手にしない。 年間“わずか”3億円弱を受け取り、残りの97%はその後の10年間で受け取る契約になっている。
その間、球団がぜいたく税を回避し、他選手に投資できるようにという配慮から大谷本人が提案したというが、アメリカ人はそれにも驚愕したはずだ。

仮にインフレ率が年5%で推移した場合、現在の100億円は10年後には61億円の価値しかない。 10%ならなんと39億円だ。(逆に、無利息でこれを借りられれば、その人は濡れ手に粟の大儲けをしたことになる。)
つまり大谷は、これくらいの割で年俸が目減りすることを見越してでも、
「他選手に投資して勝てるチームを作ってください」と言ったことになる。
逆に球団側は、実質半額程度の出費で大谷を獲得した。

実は大谷は、過去にもそれに匹敵する「経済合理性」を無視した決断を下している。
2017年、メジャー挑戦を表明、エンゼルスと契約したが、年棒は6100万円、当時日本ハムからもらっていた額の1/4以下となった。 25歳以下の選手との契約が、大リーグで制限されていたからだ。
あと2年待てば100億円規模の契約が可能といわれていた当時、常人の下せる判断ではない。
このとき、日本ハム監督だった栗山が、
「翔平、なぜ、なぜ今なんだ? オレを納得させてくれ!」と迫った。
それに対して大谷はこう言ったという。
「監督、成功するとか、失敗するとかは問題じゃないんです。あれだけのすごい選手たちが向こうにいて、そこに戦いに行く。それだけなんです」──

かつて、ヴェーダの聖仙はこう言った。
『成功は、合理性よりも、純粋性からもたらされる』
太古の昔も、今も、そしてこれから先も変わらぬ真理を、現代の若者から学ばされる。


第173号(2024年1月24日配信)

『時宜(じぎ)』

アーユルヴェーダの聖典に、『治療において、もっとも肝要なものの一つは時宜である』という名言がある。当然といえば当然であるが、しかし人はしばしば、時宜を逸する生き物だ。予言の葉にもしばしば、それについての記述がある。

Aさんの予言のなかでパリハーラム(否定的なカルマを解消するための処方箋)が提案されたのは7年前のことだ。当時は無理ということでやり過ごしたものの、一昨年の夏、他の方の予言のなかで突然、『Aのパリハーラムを、そろそろ行なわなければならない』という示唆があった。が、そのときもやり過ごし、昨年前半、今度は私の予言のなかで、『Aのパリハーラムをこれ以上遅らせることがあってはならない』との記述があった。
パリハーラムのなかには、時宜を逸したために後で、『今となってはすべてを5倍にして行ないなさい』という指示が出たことがある。また、『あれはあのときの指示。今となっては遅すぎる』というやや残酷な記述を見たことも。
パリハーラムを行なわなかった結果、予言されたとおり金銭的損失を被り、その後あらためて行ないたいと言ってこられた方もいる。費用を計算してお伝えすると、驚いたような顔をされた。失われた金額とちょうど同額だったのだ。「最初からそれで行なうべきだっただろうと聖者様がおっしゃっているのでしょうか」と言われ、私は答えなかった。が、しかし清々しくそれをなさったのが印象的だった。

決断力に乏しい私が、時宜を逸することは過去、しばしばあった。人生を振り返ってみれば、後悔することばかりであるが、ある化粧品のブランドを買い取るようにという意外な指示を受けたのも、もう何年も前のことである。だがそのブランド(Define Beauty)はすでに市場に地位を確立しつつあり、さらに飛躍しそうな局面が続いていたので、敬意をもって見守っていた。それがこの度、『早くしなさい』という指示を受けて昨年末これを買い取ったところ、たまたま巡礼の後、インドの富豪との間でいくつかの商談があった。
もともと私の会社は、仮に“利益”が出たとしても、それをはるかに上回る金額を儀式やチャリティに使ってきた。なのでこの新たな“化粧品部門”が利益を上げるようになったとしても、ますます大規模なパリハーラムを行なうようになるのは見に見えている。もともとそういうことで設立された会社なので、私も、従業員も(たぶん……)、最初からそのつもりなのだ。

正月5日、6日という大ホーマの日取りについても当初、これが一日ずれてくれればと、ずいぶん思ったものだ。しかし指示されたこの日はずらせず、予定どおり6日には食べ物や各種薬草、女神がお歓びになるシルクのサリーや金・銀、九つの惑星の神々の好まれる宝石などが大量のギーとともにホーマの火にくべられた。33の炉を取り囲む百数十名の僧侶のマントラ吟唱により、これらの供物は私たちの願いとともに天界の神々に届いたはずだ。同時に、何千人もの人たちに食事と衣類をお配りできたのも歓びだ。日本からは、七十数名の敬虔な皆さまがこれに参列、敬虔な祈りを捧げてくださった。
帰国して分かったことだが、この同じ日、一人のヴェーダ学者が亡くなった。Gujarat Ayurveda大学大学院長であったHari Shankara Sharma師は、1990年の最初の渡印時、私を一カ月、ジャムナガールの自宅に泊めてくださった方だ。拙著に登場してくるシャシクマールは彼の学生であったので、この人がいなければ、シャシクマールに出会うことも、したがって『理性のゆらぎ』や『アガスティアの葉』が生まれることもなかっただろう。当然、現在の、皆さんとの関係性もそうである。私たちの捧げた大ホーマが、この日、稀代のヴェーダ学者を天界にお連れする役割をも果たしたのであれば光栄なことであり、神々に感謝したい。

年末・年始は毎年、最も楽しく、心待ちにしている季節だ。しかし昨年末から今年にかけては、それらしいことの一つもできず、パリハーラムと巡礼旅行を駆け抜けてきた。
帰国した12日(金)は、ちょうどシスター・フランチェスカがコンゴに発たれる日だったので、お呼びしてお金を直接お渡しし、お好きになったという日本のミカンを食べながら今後の展望を相談することもできた。
そうして今、ふと想えば、あの“懐かしい”『あるヨギの自叙伝』が数日後に待っている。驚嘆する面白さの最後1/3を、ヴェーダ科学と現代科学両方の観点から、可能なかぎり解き明かしてみたいと思っている。


第174号(2024年4月3日配信)

『諸行無常』

兄の義父が小さな病院を遺して亡くなって、今年でちょうど十年になる。
亡くなってほどなくして、巨額の借金が残っていることが判明した。なぜそんなものが残ったのかは、誰も知らなかった。破綻すれば、従業員は全員失業、退職金すら払えない。近隣では唯一の療養型病院なので地域医療にも打撃となる。
婿殿として後継者と目されていた兄はこの問題にまったく関心を示さなかったので、紆余曲折の末、私が借金をして病院を買い取ることになった。

事務長は亡くなった院長の妻の弟、私にとっては「兄嫁の叔父」に当たる人で、有り難いことに病院経理を一手に担ってくれた。……と思っていたのだが、二年前、この人が辞めてみると、今度は多額の横領が判明した。発覚を予期していたのか、彼は職を辞すと同時に住居を解約、誰にも行き先を知られないようにして逃亡した。

弁護士が調べを進めるなかで、潜伏先は偶然見つかった。横領された金は多様かつ多額であったが、私は、証拠が残っているものだけでも即、返還するよう何度か手紙を書き送った。グレーなものについては最大限不問に付すこと、今返還すれば職員や親族にも可能なかぎり知られないようにすることなど書き添えたので、彼にとって願ってもない条件のはずだったが、返答はなかった。弁護士は刑事・民事の両方で訴えるべきと主張し、私もとうとう、これ以上無視されるようであれば告訴する他ないという段まできて、こちらの本気に気づいたのか、期限ぎりぎりで返還があった。
「こんなことなら、もっとやっておけばよかった」という捨て台詞が、失った金額以上に心に残った。

それよりも前、父が亡くなった後、長年遊休地としていた土地にビルを建てた。地元の業者に管理してもらい管理料を払っていたが、この業者がいつしか賃料を抜くようになっていた。東京から戻る度にお菓子を持参し、「借金コンクリートだ!」などと冗談を言い合う仲になるなか、日常の多忙にも紛れてしばらく気づかなかった。
金額からして、訴えれば刑務所に行くことになっただろう。しかし一度だけ、事務所で彼の小さなお嬢さんを見たことがあった。こちらも告訴するに忍びず、ある程度戻させたところで縁を切った。

今年に入り、大谷翔平「結婚」の報せには正直驚いた。が、もっと驚くニュースが飛び込んできた。献身的な仕事ぶりで高く評価されていた通訳者が違法賭博にのめり込み、大谷選手のお金を使い込んでいたというのである。その額少なくとも6億8000万円。
当初の説明で、彼は「大谷選手の承諾を得て借金を返済した」と言っていたが、それでは大谷も違法賭博を幇助したこととなり、お咎めは免れない。よって、大谷はまったく知らなかったことにせよ、すると君は違法賭博どころか詐欺や窃盗にも問われることになるが、将来のことは心配ない、球団がちゃんと面倒みるからと、球団にも弁護士にも説得されて、“人のよい”一平はそれを呑んだのかと私は思った。巷には、賭博をやったのは実は大谷のほうで、一平はその罪をひっかぶって辞めるのだという“陰謀論”すらある。が、後に大谷翔平自身が記者会見して、「一平さんはボクの口座からお金を盗み、周りの全員にウソをついてました」ということになった。

私のような小さな事件でも、公にできないことがさまざまあった。ましてこのような大事件について、最終的に真実のすべてが明らかになることはないだろう。しかし、むしろ感慨深いのは「諸行無常」、人の運命の変転だ。
水原一平はカリフォルニア州立大学を卒業したとしているので、事実であればかつて私が教えた大学出身ということになる。ここ数年、通訳として7,000万円前後の報酬を得ており、これは通常の数倍だ。それ以上に、100年に一度といわれるスーパースターに信頼され、人びとにも愛され、いわば功成り名遂げた。“同大出身の”日本人として稀にみる大成功を収めたというのに、その人がこうして今、行方も知れぬ状態となっている。

よいことの後には、悪いことがやってくる。そしてまたよいこともあるだろう。普通の人生はそうしたものかもしれないが、私はいつも想う。淡々と瞑想を続け、神々に祈りと儀式を捧げ、周りの人びとを助けたおかげで、よいことのほうもまた淡々とやってきて、それがまた次の人生へと雪だるま式に膨らんでいく。ときに過去の否定的なカルマが返ってくるかもしれないが、それをも糧にして進んでいく。そんな人生を読者の皆さん全員に送っていただきたい。それが新年度、桜の季節の私の願いだ。


第175号(2024年6月3日配信)

『観音菩薩』
 
読者の一人に美しい方がいた。十代から二十代にかけての十年間、毎年「ミス日本」をはじめとする主要なミスコンを制覇、その年のミス〇〇として活動した。
たおやかな京都弁を話し、財界人や芸能人とも親しく、私の講演に、やはり読者であられた稲盛和夫さんとおいでになったことがある。その稲盛さん、得度されたにもかかわらず、絶世の美女の前では普通の男性に見えたのが微笑ましかった。

大変珍しいことに、ご家族全員が敬虔な方だった。一度ご母堂に、勇気を出して、なぜこのような身も心も美しい人が生まれたのか聞いたことがある。ご母堂は静かに微笑まれ、なにをしたわけでもなく、ただ毎日「観音経」を唱えただけと言われた。
私の好きたった小説『天と地と』を思い出した。生涯、負けを知らず、「戦いの神」の名を欲しいままにした上杉謙信の母もまた、日々、観音経を唱えていたのだった。

1990年、初めてインドに行く前、知人に連れられて浅草に行った。この地に龍を下らしめたという秘仏・観音菩薩の前で、私は願った。中学生の頃から学んできたヴェーダを極めたい、そしてサイババに会いたいと。結局、その旅の間に経験したさまざまなことを『理性のゆらぎ』に書くこととなった。
後に、予言の葉を読むようになると、しばしば『浅草に行って祈り、瞑想し……』と指示が出た。そうして気づいたのは、あのときの願いを観音菩薩が聞いてくれて、サイババに会い、ヴェーダを学ぶことができたのかということだった。
特にあの震災の後は毎日のように浅草、鎌倉に行った。

私が初めて浅草に行ったのとちょうど同じ頃、横浜の一人の女性もまた、浅草寺に通い始めていた。 この方も毎日二度、朝と夕に観音経を唱え、毎月18日(観音菩薩の日)には浅草寺を参拝した。
彼女の夫は由緒ある家の出で、画家を生業としていた。
この方については、かつてこの欄で紹介したことがある。(青山圭秀エッセイ・バックナンバー)
https://www.art-sci.jp/meruma/backnumber161#163
仙人のような人で、有り余る画才をもちながら、これをお金に換えようという野心のまったくない人だった。 結果、妻が会社勤めをし、家計を支えた。
なに一つ文句もいわず、彼女はその務めを日々果たしていたが、唯一、40を過ぎても子どもができないことが心残りだった。

41歳を過ぎたある日、いつものように観音経を唱え、彼女は眠りについた。 すると、夢のなかに光輝く観音菩薩が現れて、美しい産着に包まれた赤子を足元に置いていった。
不思議な気持ちにとらわれていたところ、妊娠が分かり、十月ののちに生まれた子を彼女は英里と名付けた。 現在、当社スタッフとして働く牧野英里である。

父親に定収入のない牧野家では、常にお金のやり繰りに苦労していたという。
牧野英里は奈良女子大で素粒子物理学を専攻、これを優秀な成績で卒業し、同分野では東大をしのぐとされた京都大学で勉学を続けようとしたが、経済的困難のゆえに断念した。
その後も、父親が横浜の先祖伝来の家屋敷を詐取されるという事件があった。 母親の優子は心労の末大動脈乖離をおこし、8時間の大手術に耐えている。
生涯を通じて楽をすることはついになく、昨日未明、息を引き取られた。享年90歳だった。

妻として、母として生き、日々、観音菩薩に祈りを捧げた牧野優子さんは、いま、現世の軛から解き放たれて、光輝く世界を楽しまれているに違いない。
しかし、そのかけがえのない娘は天涯孤独の身となった。
彼女を会社に預からせていただいた私として、これまで何もできなかったことは慙愧の念に堪えないと感じていたところ、驚いたことにこのことに関する予言の指示が出てきた。それらの話をふまえて追弔講演を行なうと同時に、皆さまのお力を得て天界にお見送りしたいと願っている。  


第176号(2024年6月15日配信)

エッセイの掲載はありません。


第177号(2024年6月30日配信)

エッセイの掲載はありません。


第178号(2024年7月2日配信)

『生命の一体性』

先日、生徒さんのお一人からメールをいただいた。
憎しみや嫉妬について、昔から不思議に思うことがあったと書かれている。
「凶悪な犯罪で家族が傷つけられたり、命を奪われたとき、遺族の方が訴訟を起こすことがありますが、なぜか被害者である遺族の方が癌になってしまうなど、少なくありません。
一方、犯罪者の側は意外と普通に暮らしており、これは宇宙の法則から考えてもあまりに不公平ではないかと思っていました」
そういう現象がまま見られるのは残念ながら事実である。
この世界は一見、すっかり公平にはなっていない。

「でもその理由もお話を聴いているうちに徐々にわかるようになり、『“敵”に対して抱く憎しみは、結局、自分自身を憎んでいることと同じかもしれない』と今は感じられます。
イエス様の『なぜ私を迫害するのか?』という言葉も真理だとつくづく思います。
私たちは他人だと思って、結局、自分自身を憎んでしまっているのです」
「『どの人の中にもアートマン(キリスト意識)がある』ことを本当に理解できたなら、全ての人は自分自身なので、誰も他人を攻撃しないでしょう」とメールは続く。
「であれば、そもそも人を憎んだり、嫉妬したりする気持ちさえ起こらない。
こういう嫉妬や憎しみの気持ちが生まれると、いつも『結局、私はこれだけ勉強しても、まだ性懲りも無く、肉体としての自分を大切にしたいのだなぁ』と呆れて、悲しくなってしまうのです……」

意識の進化の過程で、われわれはなにかを学び、ときに画期的な発見もし、しかし現実世界では旧態依然たる自分に気づいて愕然とする。
進化は遅々として進まないように見える。が、実際にはそうではない。
ここでメールは一転、以下のように続いている。

「でも以前に比べ、日常の中でも『自分が肉体であると勘違いしている』ことを思い出すようになってきたのは本当にありがたいことです。
最近は『肉体という勘違い』に気付きさえすれば、「天国」はもう目の前にあることも思い出させて頂けて、苦しみの時間も減ってきました。
『神の国は天のどこかではなく、自らの内にある』と言われるイエスに真実、共感し、でもそんな日常に疲れたら『来て、わたしの許で休みなさい』とのお言葉に癒されます……」
メールには、このあと、進んだ瞑想の技術について、隠れたその本質を射る言葉が続いている。
真実をこんなふうに見透す生徒さんがおられるとき(実際にはほとんどの生徒さんがそうなのだが)、私は心から幸せだと感じてしまう。

<プレマ倶楽部>ができて20年、私たちは常にこれらの聖句を学んできた。
『バガヴァット・ギーター』、聖書、『あるヨギの自叙伝』、そしてヴェーダ聖典の数々……。
折しも今回、予言により私の行なうパリハーラムがふたたび設定されており、『世界の安寧と生徒らの幸せのために』壮大な儀式とチャリティが用意されている。
『「葉の礼拝の儀式」は二度に分けて行ない、いずれも多くの人に参加してもらうように』と書かれている。
そこでこの際、こうして学んできた聖典・聖句を一つの講演にまとめてみたいと思い立った。
大きなテーマではあるが、私たちが苦しみから解放されるすべを探ってみたい。

コロナ以来ほとんどできなかったリアルの講演で、多くの皆さんとお目にかかり、お話をうかがえるのも楽しみだ。  


第179号(2024年7月10日配信)

『最後の奇跡』

先日、ある会合にうかがった際にお目にかかった海外招待者の一人は、旧ユーゴスラビアのご出身だった。
早速、私は「お国に3回も行ったことがあります」と言うと、大変驚かれた。
「どこに行かれたのですか?」
「メジュゴリエです」
とお答えすると、この方がメジュゴリエの聖母出現についてほとんどご存じないことが判明した。

暗く、厳しい内戦の時代を生き延び、イギリス人と結婚した彼女は、現在ロンドンにお住まいだという。
その経済活動の一環として、今回日本に招待されたのであるから、相当に裕福な暮らしをしておられるはずだ。
生命と財産をすっかり失う危険性のあった世紀末を過ごしたユーゴの国民にとって、「聖母出現」といわれても夢みたいな話だったのかもしれない。
聖母ご自身は、『わたしの秘密を理解しなければ、世界に平和は訪れない……』と言っておられるが、その予言どおり、世界に平和は訪れておらず、その気配もない。

ファティマに始まり、アムステルダム、ガラバンダル、さらには秋田、メジュゴリエと続く一連のご出現において、聖母は相当に厳しい人類の未来を予言してこられた。
そうしたことが起こる前、世界にはひとときの安息があるとも言っておられるのが、もしかして今がそのときなのだろうか。
涙を流し語られたそれらのメッセージを総括し、キリスト教の枠すらも超えた普遍性を求めて、日本でメジュゴリエのような聖母出現があったと想定して書いた小説が『最後の奇跡』だった。
その後、何人もの方に、世界はこの小説に書かれたとおりの方向に進んでいると指摘されたが、残念ながら聖母の示唆された“平和”にはほど遠い。
そんななか、今回、ボランティアの方の献身的な努力によって電子書籍となり、7日から一般の方にもお読みいただけることとなった。

今回の電子版と親本との大きな違いは、巻末の資料集にある。
ボランティアの方が精根込めて世界の聖母出現の資料を集め、地図上に分かりやすく整理・分類してくださったうえ、それぞれの事象にまつわる歴史的な写真も掲載していただいた。
紙媒体では難しいことだ。
また、最後の『電子版に寄せて』のなかでは、本書を上梓することとなった経緯について新たに書き下ろした。
さかのぼること今から100年ほども前、無神論者のスペイン人医学生がルルドを訪れたことから話は始まる。
そこで二つの奇跡に遭遇し、帰国した彼は回心してイエズス会に入り、司祭となって広島に赴任した。
戦争が始まり、広島に原爆が落とされ、彼は爆心地近くで被爆した瀕死の子どもを奇跡的に助けた。
そしてその子も司祭となり、何も知らずに田舎から出てきた私(青山)にカトリック要理と祈りを教えてくださったのだった。
その後、聖母は、後に私の読者となる一人の女性に現れ、彼女が本小説のもととなった聖母出現集を私に送ってくれた。
なにも知らずにそれを読んだ私に本書の着想が湧いてきて、幻冬舎の見城社長の強い勧めもあって小説化することになったのだった。
電子版あとがきでは、平安時代、宮中で物書きをしていたという私の“守護霊”にも登場いただき、これにまつわる経緯を詳しく書いた。

天界で神々によりなされている計画を「摂理」、「経綸」などと呼ぶが、そのほとんどを私たちは知らない。
ずっと後になって、ごく一部に気づいて驚くのである。
気づこうが気づくまいが、そうした摂理はどんな人にも計画されている。
そうでなければどうして私たちが存在し、一緒に霊性を探求することになるだろうか。
こうして共に瞑想をする私たちの間に、何の関係性もないなどということはあり得ないし想像もできない。
その皆さまからの、本小説への忌憚のないご感想を今から楽しみにしている。  


第180号(2024年8月9日配信)

『詩の詩』

幼稚園に通っていたときに開催された東京五輪以来、長くオリンピックを見続け、いつか出場しようといまだに考えている私も、このようなシーンは初めて見た。
女子柔道52キロ級二回戦で敗退した阿部詩選手の号泣である。
これについて、「可哀相」「もらい泣きした」といわれる一方、「相手への礼節を欠いている」「武道家としていかがなものか」とのコメントも見られた。

「悔しいのも泣きたいのも理解出来るけど、柔道家として、武道家として、もう少し毅然としてほしかった。その点、相手の選手は立派でした」
「役員から退場を促され、次の選手も足止めされている。柔道で負けた選手は山程いるが、競技進行を妨げてまで泣きじゃくった選手が過去にいただろうか」──

これに対し、以下のようなコメントもあった。
「それでも同じ血が通った人間ですか。人の心に寄り添えないのですか。あれだけ美しい涙があるだろうか。あれだけ美しい叫び声があるだろうか」
「私はとても感動しました。負けた姿を見せてくれた事にも、その現実を身体中で悔しがる姿にも涙しましたし、勇気を頂きました」
「あんなに泣き叫べる程の努力を私たちはした事があるのか、考えさせられました」

一方は理性に、もう一方は感性に訴えかける、ともに共感されるコメントである。
5000年前、クルクシェートラの戦場に立ったアルジュナも、敵方にいる従兄弟、師、大叔父、友人たちを見て、正義を確立するためとはいえ、彼らを殺してよいのかと自問した。
「神々の王」「戦いの神」の化身であったアルジュナにして、どうしてよいか分からず、その場にへたり込むのである。
人間性というものは、いつの時代も変わらない。
しかしそうであるにしても、もし自分がその場に立たされたとして、現実にとれる行動は一つだけだ。
仕事であれ、スポーツであれ、日常生活であれ。
そのとき、後に悔いることのない行動がとれるよう、いつも理性も感性も研鑽しておかなければと、改めて思い至った。

ところで、今回のこのシーンを見て、24年前のシドニー五輪を思い出した方も多かったと思う。
男子柔道100kg超級決勝で、フランスのドゥイエが仕掛けた「内股」に対し、日本の篠原の「内股すかし」が見事に決まった。完璧な一本に見えた。
これに対し、副審の一人は篠原の「一本」と判定したものの、主審は「有効」。
しかもなんと、主審はドゥイエの側にポイントを入れたのだった。もう一人の副審は主審の判定を支持し、結局、ドゥイエに「有効」が与えられた。
日本の選手団監督は、あの柔道界のレジェンド山下泰裕だった。山下は審判委員から再協議を申し出られたが、フランス語が分からず試合の継続を許したとされる。
スポーツにおいては誤審や、誤審に近いものは多々あるものだが、これほどはっきりした誤審は前代未聞と後にいわれた。

日本の威信をかけ、金メダルをかけた大一番で、勝った! と思ったところが、なんと自分のほうが負けていると気づいたときの篠原の心のうちは、想像に難くない。その後、このショックから立ち直る間もなく、試合終了のブザーを聞くことになる。
篠原自身は、この試合の敗因は問題判定そのものではなく、即座に気持ちを切り替え、残りの時間で逆転することができなかった自分自身の弱さであったと後に語っている。
「審判も、ドゥイエも悪くありません。誤審? 自分が弱いから負けたんです」──

世の中には、自分の力ではどうにもならないことがいくらでもある。
苦しく、悩ましいことだらけだ。
だが、このようにして鍛練を続けられる者が真の武道家であり、人間としての進化はそういう人のものだ。
一方で私たちは、あれのせい、これのせいとつい言ってしまいたくなるものだが、気がついたときには人生の一番よいときを失うことになりかねない。

日本中の期待を一身に背負い、パリ入りした阿部詩選手は、思わぬ敗戦を喫し、その瞬間、事態が飲み込めなかったという。
さぞや自分に腹が立ったであろう。
情けなかったことだろう。
しかし彼女はまだ若い。ここはしばし休養して、人間としての深みを増してほしい。
そして文字通り心・技・体に磨きをかけ、もう一度オリンピックで勝ってほしい。  


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