瞑想講座

体験談

<Art4>体験談

<Art4>Stage1を受講された皆さまからの【瞑想便り】と、青山先生よりのお返事をご紹介いたします。



Stage1 体験談

<Art4>Stage1の技術を得て、<Art1>、<Art2>の技術が使い易くなったと感じます。

<Art of Meditation>は、自然で、心と体に優しい技術ですので、使いながら心地よいと感じるのが普通です。しかしそれでも、技術である以上、使い易さや、使ったときの心地よさは、人により、技術により、さまざまであり得ます。
<Art2>、<Art3>、<Art4>は、相対世界のそれぞれの側面から実在に至る道を与えてくれますが、実は、お互いに相乗効果をおよぼしあいます。その一つが、お互いに、使い易さが向上したと感じる点です。


マントラが車輪のように回転し、心地よさを感じました。瞑想後、今まで以上に気持ちが静まっています。

<Art4>により、私たちはより速やかに純粋意識に達し、そこにより長く留まります。


このマントラの威力にはびっくりしています。<Art1>が、手漕ぎのボートとすると、これはモーターボートのような推進力で、どんどんと目的地へと向かって、心身の浄化が進んでいく感じです。

自然界の英知は、準備のできた生徒には、最適なとき、最適な方法で、最適な進化の道筋を与えてくれるものです。その事実を知ったならば、後はそれを望み、日々淡々と準備し、チャンスが来たらそれをつかまえる。それだけで充分です。


新しい技術を使うようになってからは、最近あまり集中できていないと感じていた瞑想に、 深く入っているという感覚を久し振りに覚えることができるようになり、幸せです。

私たちは誰でも、心の奥底では、内面の深いレベルにしか真の幸せはないことを知っています。ですので、瞑想をしながらその感覚が得られない時期が続くと、充実感を失い、瞑想自体もおっくうになりがちです。
この新しい技術は、そんな私たちに、新風を吹き込んでくれます。どこから吹き込むのか? 英知からです。存在の深いレベルに入っていったときの安らぎや充溢にまさる幸せはありません。そうした幸せを日々、経験し、楽しんでください。


仕事が忙しくなると、たいてい人助けに絡んで何らか執着を強め深め、ろくな展開にならないこともままあるのですが、かなり忙しい割に、比較的スムーズに仕事が流れている事が出来ているのは、<Art4>Stage1のおかげだと思っています。 本当にありがとうございます。

仕事が忙しくなる、物理的に時間がなくなる、心理的な余裕がなくなる、これらは、人生において常に起こりうることで、特に瞑想を続けて魅力を増した人には、宿命的に訪れることです。
それに対して、ヴェーダの英知は、ちゃんとそれを克服する方法を準備してくれています。あとはそれを、私たちが楽しむだけです。


<Art4>Stage1を教えて頂いて初めてそれを使い瞑想したときの静かな感動は今でもはっきり覚えてます。1から3までの技術のそれぞれがまるで車輪で4が軸になり結びつき、急速に加速度をつけ実在(無)に向かった(実在は遍在なので表現はおかしいですが)ような静寂に浸る……。今だかつて味わったことのない「在りしところ」……。さらなる技術があるなんて♪ 楽しみです♪ 

皆さんが日々、こつこつ瞑想を続けている間に、何かのよいことが積み重なっていって、知らない間にそれは大きなものとなり、いつか皆さんに返ってくる、そんな機会を待ち構えています。健康の回復・増進か、仕事の発展か、結婚生活の歓びか、瞑想中の神秘な体験か……。
もっとも適切なとき、もっとも適切なかたちで、最大限の幸福を伴って、それは皆さんに返ってきます。


自分の周囲で起こることを受け入れ易くなりました。深く考えすぎずに、良い方向へ進んで行くことが出来るように思えるようになりました。

肉体をもって相対世界に生きる以上、私たちはさまざまな問題につきまとわれます。しかし問題は、問題と同じレベルに留まる以上、解決できません。もっと深いレベルに意識が拡大したとき、自ずと解けます。
私たちはこの技術によって、より速やかに意識を拡大し、深化させますが、そこはあらゆる可能性の場であり、創造性の場ですから、現象の世界で何が起きても深く気にすることなく、適切な方向へ進んでいくよう私たちは導かれます。
それを感じ取ることができるというのは、生きる上で大変幸いなことです。


今回の技術はまた一段としっとりと深い感じがしました。これまでバラバラに起きてきた単なる偶然と思っていたことが、そこではすべてが絡み合い、つながっているのが見えました。そうしたら、そこには「ありがとう」しかないような、なんとも言えない愛おしい感覚が満ちていました。時間を忘れてそのまま留まりたい気持ちを振り切って、なんとか瞑想から出てきたら1時間が経過していました。まだその余韻に浸っています。

それぞれの意識の段階で、それぞれの瞑想の深まりで、感じたり、経験したりすることが違います。ますます淡々と、日々、瞑想を続けてみてください。


この新しい技術を使うようになってからは、最近あまり集中できていないと感じていた瞑想に、深く入っているという感覚を久し振りに覚えることができるようになり、幸せです。

私たちは誰でも、心の奥底では、内面の深いレベルにしか真の幸せはないことを知っています。ですので、瞑想をしながらなかなかその感覚が得られない時期が続くと、充実感を失い、瞑想自体もおっくうになりがちです。この新しい技術は、そんな私たちに変革をもたらしてくれます。
どこからなのか? 意識の内側から。
何によってか? 内側の英知によって。
存在の深いレベルに入って行ったときの安らぎや充溢にまさる幸せはありません。そうした幸せを日々、経験し、楽しんでください。


今回は再受講でしたが、内容をほとんど覚えていなかったことに自分でも驚きました。そんなに経っていないのに……。でもおかげさまで、まるで初受講のように新鮮にお話を伺うことができました。こうして今まで見たことも聞いたことも体験したこともない新しい世界のことを知ることができること、体験することができることのご縁をいただけたことに、言葉にできない気持ちでいっぱいになってしまいます。

皆さんに瞑想をお教えし、皆さんの感想や体験をうかがうにつけ、私のほうこそ、同じような感謝の気持ちに浸ります。


Art3を受講した後もそうでしたが、昨日の瞑想では、薄暗い部屋にも関わらず、眩しくて目をつむっていられませんでした! 夕日が急に差し込んだのかしら?と思ったほどです。ある時は青、緑、紫の柔らかく丸い光が交互に現れて、とても癒やされるのです。…これって変ですか? そんな事はあり得ません、君はまだまだレベルが低い!ということなら、はっきりおっしゃって下さい。

そんなことはあり得ません、物理的には。しかし、この世界は単なる物質の寄せ集めではないので、私たちの意識のレベルではあり得ます。あり得るどころか、そちらのほうが、実は物質世界よりもよりリアルで真実な世界であることに、早晩、私たちは気づくことになります。




Stage2 体験談

<Art4>Stage2の技術を知った瞬間に思ったことは、<Art1>のマントラは自分自身なのではないか?と考えていました。

ちょっとした真実に気づかれましたね。<Art1>でお教えするマントラは、自分自身と大変近しい存在です。粗雑なレベルにおいて、それらはもちろん別々のように見えますが、しかし相対界の精妙なレベルでは違いがほとんどなくなっていき、絶対のレベルにおいては区別がありません。
マントラは、そのようなレベルまで私たちを連れていってくれますが、<Art4>Stage2の技術はこれをさらに加速させてくれるものです。


久しぶりの先生の講座は、私にとって、とても収穫の多い、楽しいひとときでした。特に、皆で一緒に瞑想をした時のあの感覚は、今までにない”深さ”と”心地よさ”を感じることが出来ました。その”深さ”や”心地よさ”は、今回教えていただいた <Art4>Stage2の技術がもつ力強さなのかも知れませんが…。
とにかく、これからも出来るだけ欠かすことなく教えていただいた瞑想を続けていきたいと思います。

<Art1>を続けるだけでも、とてつもなく大きな収穫が得られるはずです。まして、<Art4>Stage2を一生続けたとき、その違いは表現を超えます。


最近、日常生活で以前より楽になった様に思います。良い意味で、どうでも良くなった様な… いわゆる瞑想の直接の技術も大事ですが、先生の話す雰囲気や背景、哲学が瞑想に対する日々の心がまえや身のおきどころを示唆している様に思います。

クリシュナ神が【バガヴァッド・ギーター】のなかで繰り返し言っていること、それは、相対界のすべては、真の「わたし」ではないということです。相対界で起こることのすべて、私たちの体や、心のなかの現象や風景までもが、私たちの真我とは別ものです。
瞑想をすると、頭で理解しているかどうかに関係なく、私たちはこの真理に近づきますので、相対界のことはある意味、大したことでなくなったような気がします。
しかし同時に、体はより健康に、ものごとはよりスムーズに、よりよい状態に近づきます。つまり、「よい意味で、どうでもよくなったような」気がするのです。


以前の瞑想とは、明らかに違うように感じております。
本当に恥ずかしいのですが、<Art1>を受講してから4年以上毎日瞑想していますが、「今のが純粋意識にはいっていたのかな?」と感じたことは数えるばかりしかありません。この技術をつかって一週間、二度ほどそんな感じを得ることがありました。

もう長くあなたを知り、見続けてきた私の印象では、敬虔で、いつも完全を求め、最高の悟りを目指しているあなたは、たとえしばしば純粋意識に入っていても、はっきり、手にとるように分かるまでは、またはすっかりそこに確立されるまでは、それを認めようとされないのではないでしょうか。
ところが、純粋意識はそれ自体、具体的ななにかのモノではないので、とりあえず、急に“手にとるように”はなりません。
しかし自然界は、真剣に求める者のためには、必ずそれを用意して与えます。そうしたものの一つが、この技術です。


神々や先生のお導きにより、今年の4月からアート1、2、3、4-1、4-2と駆け抜けてきました。
最近、瞑想中に何かにつながるのがリアルに感じられます。まばゆい光りでも、神々のお姿でもないのですが、瞑想が深まってくるとオーロラみたいなほのかな光りが眉間のあたりにやって来て、それまでとは違う感覚に包まれます。
そのタイミングが近づくと、まもなくつながるのが解るので、『来た来た来たー!』と思ってしまいます。

自分では気づかなくても、進んだ瞑想の技術を使うことで、 意識は次々と精妙なレベルに分け入っていきます。それは人により、場合により、身体の健康や心の爽快感、人生の新たな展開や、そしてときには、神秘な体験として花開くことになります。


<Art4>Stage2の技術はストンとはまり、朝の瞑想時にタイマーかけてなかったら遅刻寸前になるまで瞑想してました。

この技術は、まさにストンとはまります。遅刻寸前だったとのことですが、こうして私たちが瞑想を深めていった場合、世俗の仕事は興味が増すのでしょうか、減るのでしょうか。
答えは、自分のダルマにそぐわない仕事の場合は興味を失う方向へ、ダルマに沿った仕事の場合は、俄然、興味も、能力も増していく方向へと進みます。


瞑想中は、そこに座っている瞑想中の自分とはまた違う自分がいるような感覚が何度かありました。(文章が下手で申し訳ありません、、、)
Stage2以前の瞑想とは、明らかに違うように感じております。

<Art4>Stage2を使う前と後とでは、たしかに瞑想が違うはずです。
<Art1>のときと同様、その理由は私たちには分かりませんが、この技術によって、実際に進化のスピードが速まります。 そうしていずれ、瞑想をしている自分を観ている自分、眠っている自分を観ている自分、活動している自分を観ている自分がいて、クリシュナ神が言うように、『活動と真我は別』であることを私たちも真に知ることになります。


<Art4>Stage2を受講して初めて、落ち着いて瞑想出来るようになった気がしています。 今までは比較的短時間(10〜15分位)で出てきてしまい、特別な体験もなく、座って何か一生懸命考えるだけの自分に気付いたりと、若干不安になっていましたが、 今は体感として分かるようになりました。

進んだ瞑想の技術を実践すると感じられますが、Stage2の違いもまた、体験して初めて分かるものです。これからますます、じっくりと瞑想を楽しんでください。肉体をもって相対世界に生きる醍醐味がそこにあります。




Stage3 体験談

今回も、新しい技術を用いた直後から、深く静かな処に降りてゆきました。
いつもそうですが、新しい技術を使い始めたときはなかなか瞑想から出て来れません。 その代わり(?)充実感はその前と比べものになりません。自分としては、「瞑想ができている」という実感があります。

「瞑想」というものについて関心を持つ人は世の中に少なからずいますが、 しかし実際に瞑想をしてみて、「できている」という実感をもてる人はほとんどいません。 なので、ほとんどの人は瞑想を続けることができません。
私たちは、自分で想像するより、確実に深い瞑想に入っていますので、 出てくるときにはゆったりと出てきましょう。その際には「数分」を要するかもしれませんが、恩恵は「永遠」と呼ばれるに値するものです。


  • いつも感じることは、瞑想は、技術もその精神も、両方とも あだや疎(おろそ)かにできないということです。
  • 進んだ瞑想講座を受講するのは、年に一度、心ときめく至福のときです。 理由の一つは、新しい技術の背景となる理論を学べることです。
  • その都度、ステージが進む度、頭がクラクラするのは、 瞑想のせいではなく、世界観が一新されるからです。

瞑想の技術を教えるだけなら、毎回、5分か10分でこと足ります。 問題は、私たちは肉体をもって相対界に生きる存在ですので、 どんなに瞑想がいいと思っても、なかなか続けるのが難しいことです。
まず、無邪気に理論を聞いてみてください。世界が、少し変わります。 あとは、瞑想を続けてください。世界は、すっかり変わります。




Stage4 体験談

Art4Stage4受講後、特に何かが大きく変わるわけでもなく相変わらずの毎日を過ごしているように思えますが、教えていただいた瞑想の技術なしでは、私は、とても生きてゆけないのではないか?(笑)と思うくらい、これに助けてもらっています。

マントラは、生まれてすぐに生き別れた兄弟のようなものだといいます。知らなければ知らないで生きてこられたわけですが、互いに知ってしまった後の人生は、持ちつ持たれつ、実際にさまざま助けてもらうことが多々起きてみると、長く別れていた分、その愛おしさも格別です。進んだ瞑想のクラスをとるということは、その兄弟との縁がますます深まることと似ています。
もう一人ではありません。あなたを支え、助けてくれる、もう一人のあなたがいることになります。


4月末から風邪を引き込んで、咳が悪化して一番酷かった時に、新しい技術を使って瞑想したところ、『肺が炎症でヒリヒリしていた、そのヒリヒリ感が、見る見る消えていく感覚』がハッキリと感じられて驚きました。

意識が存在の深いレベルに浸透していくとき、私たちの生理的な状態もまた、深いレベル、すなわち調和的な、普遍的知性のレベルに近づいていきます。そこには、病気とか、苦しみとかが入り込む余地がほとんどありませんから、意識の進化にともなって、結果的に肉体の健康が得られることとなります。そのようなことを、日常のレベルでも経験しながら、私たちは徐々に進化していくことになります。


先日受講したArt4-Stage4ですが、とってもすごいです!受講日に家に帰って鏡をみたら、恐ろしいぐらい肌が白く、しかもしっとりとしていました。気にせず、続けていたのですが、1回/週でそういった恩寵を授かっています。理論面でご説明いただいたStage4がアクセス・アプローチしている領域からすれば、それも納得がいくのですが、それでも・・・・驚きを隠せません。

インド医学の聖典には、「ソーマ」という概念が述べられています。それは、物質と精神の中間にある何かで、私たちが瞑想をしたとき、髪や肌がしっとりしたり、他の生理機能が円滑になるのは、このソーマによると語られています。
また、ソーマは神経系統を潤し、滋養を与えますので、記憶力も思考力も高まり、バランスのとれたものの考え方ができるようになります。肌は透き通ったような感覚になるかもしれません。
こうして進んだ瞑想の技術を用いて、私たちはますます容易に、速やかに、存在の深いレベルに入っていくことになります。なにが起きても驚くことなく、淡々と瞑想を続けましょう。


以前に、マントラはいったん溶け込んでしまい、音もリズムもつかめないような、輪郭がわからないような、そんな感じになっていましたが、今回、新たな技術を用いるに際して、また浮上してきて、いくらか輪郭をつかめるような、そんな感じになりました。そうして表層に浮かんだまま、マントラは、音やリズムを刻んでいたかと思えば、それらの輪郭が薄れて、また深いところに溶け込んで、みえなくなってしまうような……そんなことを、今はくり返しています。

私が皆さんにマントラをお伝えするとき、できるだけ小声で、耳元でささやくようにして教えます。ひとたびマントラが内側に入ってきたら、皆さんはそれを心のなかで大切に使い、マントラは徐々に精妙な姿をとっていきます。あるときは音が微妙に脱落してリズムだけとなり、またあるときは輪郭がまた戻ってきてというように……。そのようにしながら、マントラは私たちを徐々に意識の深い領域に連れて行き、そこで、経験したこともない、想像することもできない、筆舌に尽くしがたい神秘なことが起きてくるのを、私たちはただ待つことになるのです。


以前から、瞑想中に、さまざまな明度・色(無色〜淡い紫色等)の光がみえることがありましたが、最近は、とてもまぶしい光に覆われることが多いようです。まばゆく、あたたかな、無色の光で、まぶしいけれど、とても心地よく感じられます。そうしたあたたかな、まばゆい光は、(みえても、みえなくても)本来、どの人にも降り注がれているのだろうと思いますが、いかがでしょうか?     

聖者や天使が後光を放っているのは、決して“比喩”ではありません。私たちもまた、そのような光に覆われているからこそ、こうした精巧な身体で生まれ、高度な知性と精妙な意識をもち、進化していけるわけですが、ただ、私たちはそのことに気づいていません。瞑想、特に進んだ瞑想の技術を用いることで、私たちは容易に存在の深いレベルに入っていきますので、そこにある知性や光に自然に気づくようになります。
知性に気づいた人は、より聡明な判断力、精緻な記憶力、強健な忍耐力を得、光に気づいた人は、その光に守られ、癒され、力を得ます。そこはあらゆる可能性の場ですから、いわばそこには、すべてがあるのです。




Stage5 体験談

今までイエスやブッダを、特別な人、人ではあって人ではない人と、畏敬の念をもちながらも自分とは別の人(種?)と思っていましたが、Art4Stage5の講義を聞いて、自分たちもいつか同じようになるのだと、安心感や喜びに似た感情が起きてきました。

イエスやブッダも、私たちと同じように、何回も生まれ変わりながら人間として進化しました。私たちもまた、いつかあのような進化を遂げた状態に必ずなります。問題は、そこに至る過程が速いか、遅いか、心地よいものか、不快なものか、健全な過程を経るのか、そうでないのか等々です。もちろん、すべてにわたって、前者が好ましいですし、生命はそれを欲しています。そして、生命の欲するところ、そのための道が必ず用意されているのです。


とうとうArt4も終わってしまいましたが、また新たな瞑想講座を聴ければと思っています。

『この天と地の間には、人智では測り知れないものが無限に眠っている』シェークスピアは、ハムレットをしてこのように言わしめました。そのとおり、この天と地の間には、人智で計り知れないことが限りなくあります。私たちは誰もが、生涯の間に、そうしたことに気づく瞬間をいくらかもちますが、<Art4>は、何回分もの人生のそれを凝縮し、体系化したシリーズでした。しかし、ハムレットも言うように、驚嘆すべきことは無限にあります。これからまだまだ、それらを皆さんにお伝えしていきます。


この瞑想の技術は死後、より精妙な肉体をまとう状態になっても使えるのではないかと感じたのですが……。

死後、より精妙な肉体をまとう状態になってもなお、私たちは相対世界に住んでいます。したがって、私たちは進化を欲しますし、心地よさを求めます。そうした状態である個別生命にとって、お教えした技術は非常に快適かつ有用ですので、当然、私たちはこれを使いたいと思うでしょうし、使うことは可能です。皆さんが手にしたのは、“生涯の宝”なのですが、それは短い、一度の人生に限定されるようなものではありません。