青山圭秀エッセイ バックナンバー 第21号 – 第30号
最新号へ第21号(2008年9月12日配信)
『オリンピックの光と陰』インドに約一カ月滞在した後帰国して、一番にしなければならないと思っていたのは、
旅日記を書くことだった。
ところが、その前にオリンピックにはまってしまい、
感想を2、3日書いてから……と思っていたところ、
とうとう半月も連載してしまうこととなった。
私のオリンピックの思い出は、小学校に上がる前の、東京オリンピックに始まった。
印象的だったのは、重量挙げの三宅義信選手。
表彰台の上で、彼が金メダルを目の前に掲げてみせたとき、
NHKのアナウンサーは、
「ああ……、金メダルを見せております! 金メダルを見せています!!」
と絶叫した。
会場も、視聴者も、興奮の渦に巻き込まれた一瞬だった。
その後しばらく、私は兄と、箒の両端に教科書をつめたランドセルを通すなどして、
重量挙げごっこをした。
日本中で同じような光景があったに違いない。
時代は下り、その三宅選手の姪御さんが、今回のオリンピックに出場していて、
惜しくもメダルには届かなかったが、父親の義行さんの悔しそうな表情が印象的だった。
その後もオリンピックは、毎回、数々の印象深いシーンを生んできた。
高校3年の、とある夏の昼下がり、
下宿の白黒テレビでモントリオールオリンピックを見ていると、
一人の少女が登場してきて段違い平行棒の規定演技を行なった。
何気なくそれを見ていた私は、呼吸が止まってしまった。
規定演技は、それほど難易度の高いものではなく、あまり差が出ないのが普通なのに、
彼女の演技ははるかに他を圧倒し、まったく違う競技かと思われたほどである。
それが、ナディア・コマネチだった。
このときの彼女の演技に、史上初の10点満点が与えられた。
このオリンピックで、一躍、アイドルとなった彼女は、
透き通るような肌と、ルーマニアチームのユニフォームの色から、
『白い妖精』などと呼ばれるようになったが、
その後、彼女のたどった苦難の人生を知る人はそう多くない。
祖国ルーマニアの英雄となった彼女は、当時の独裁者チャウシェスクの息子に見初められ、
それが悲劇の始まりだった。
すべてを捨てた、死と隣り合わせの祖国脱出、
それに続く東ヨーロッパの崩壊、アメリカ移住、
妻子ある男性との交際、激しいバッシングなどを経て、
今、彼女はアメリカの元体操選手パート・コナーの妻として、
また地元の子供たちの体操コーチとして、静かな生活を送っているという。
オリンピックの光と陰は、一瞬にすぎない。
その前と後の両方に、それぞれの人生の光と陰がある。
第22号(2009年1月1日配信)
『サバリマライへの旅』毎年1月14日前後にやってくるマカラサンクランティの日、
インド亜大陸ではさまざまな奇跡が起きるといわれている。
そのうち最も有名なものは、「サバリマライの火」だ。
南インド、ケララ州にある聖サバリ山で、この夜、鷲が宙を舞う。
そうして、無人の山の頂上に炎が立つのである。
当日、寺院のある中腹まで人びとに埋めつくされるこの山に巡礼するのは、
インド人でもほとんど不可能といえる難事業だ。
だから多くの敬虔な人びとは、それよりも前、ひと月かふた月の間にこの山に登る。
そのためには、地元の寺院でココナッツに穴をあけ、
なかのジュースを神々に捧げた後、ギーを詰める。
同時に、周囲の人びとから巡礼者に託されたコインと米が袋に詰め込まれ、
ずっしりと重くなった袋を頭に載せて、神を讃えながら寺院の周囲を歩く。
これ以降、巡礼者は完全な菜食でいなければならない。
履物を履いてはならない。
髭を剃ることも許されない。
朝夕二回、沐浴しなければならないが、お湯を使ってはならない。
寝台や枕を使えず、床に木枕で寝なければならない。
秘境のような南インドの激辛カレーをいただく度、下痢をする。
悪い油で作られたものを食べる度、吐きそうになる。
今回、山に登るのはもはや無理かと諦めそうになる局面もあった。
そんな旅を続けながら、しかしなんとかしてサバリマライの麓まで着くと、
河で沐浴をし、少し生気が蘇る。
そうして夜中の12時、いよいよ登山が始まった。
だが、インド人には平気でも、日本人の私には、裸足で険しい山を登るのが難しい。
頭に掲げた袋にはギーの入った大きなココナッツと、
瞑想をお教えした皆さんのためのコイン、お米が満杯で、
小石が足に突き刺さる。
が、聖なる山の力か、聖なる河のおかげか、
一時はほとんど死んでいた私も午前3時には寺院のある山の中腹にたどり着いた。
しかしそこには、前日夕方から登ってきた人びとがすでに長蛇の列をなしていた。
うねるようにして曲がりくねった列の先頭は、遥かに見えない。
まさに長蛇だ。
彼らのすべてが、一目神像を拝まんとして待っている。
1時間、2時間が経ち、そして午前6時を過ぎてもなお、
列は寺院の前にたどり着かない。
もう6時間以上もズタ袋を載せた頭は、芯から痺れている。
東の空が白々としてきて朝日が昇った後、午前7時頃、
ついに私は、神像に至る18段の黄金の階段の前まで来た。
なかにはもうフラフラしている巡礼者たちを、左右から警察官が、
これまた必死の形相で引き上げる。
まるで大きな罪科に苦しむ人びとが、地獄の底から這い上がろうとしているようだ。
18段を登り切ると、やっと正面奥に神さまが鎮座ましますが、
これだけの大巡礼の的となるのはどんな巨大な神像かと思いきや、
高さほんの30センチほどのものだった。
が、それは、通常の人間の手によるものではあり得ない。
古の聖仙が、われわれの知らない方法で造ったその神像を一瞬目にしたと思ったとき、
しかし私は後に続く人びとの流れに押し流されていた。
瞑想を教えたりしていると、ときに自分の予言の葉が出てきて、こうした巡礼が課せられる。
昨年の7月、皆さんとチェンナイの空港で別れた後、
弟子入りしたシッダ医学の聖者は、
例年やってくる9月の微熱を、丸薬一つで防いでくれた。
だが予言には、その後、私は別の理由で体調を崩すと書かれていた。
そのとおり、私は苦しんでいたが、しかし年末には、
この困難な旅をしなければならないこともまた予言されていた。
食べ物が合わず、吐き気を催す度、
頭にはズタ袋が、足には小石が食い込み、痛みを感じる度、
自分や、瞑想を教えた皆さんのカルマが解消されていくことを感じた。
今まで私を導き、支え、または普通に接してきてくれた人たちに、
より大きな幸せがやって来るに違いないと、私は確信した。
しかしなかには、過去、私を手ひどく裏切っていった人もいた。
騙し、または陥れた人もいた。
そうした人たちは、どうなるのか。
その人たちにも、この巡礼の恩恵はもたらされるに違いない。
そのようなことを何度も想いながら最後に神像の前に出たとき、
それがたとえほんの一瞬であったとしても、
私の2008年が完結したと、私は思った。
新しい年を迎え、皆さまにはますますご健勝のこととお慶び申し上げます。
本年もよろしくお願いいたします。
第23号(2009年4月10日配信)
『巡礼』かつてルルドに巡礼して持ち帰った水を、ある大学の先生に渡したことがあった。
その先生が、これを東北地方のとある方に渡したところ、
彼女はこう言ったという。
「ああ……これはマリア様の水ね……」
彼は、これがどこの水で、誰が運んできたのかをまったく言っていない。
が、それでも、聖母マリアに縁のある水というのは、
感じられる人には感じられるのだと感銘を受けた。
さらに彼女は、こうも言った。
「この水の精は、日本の水の精と一緒になれて、歓んでおられます……」
われわれは日本人として、自然界のさまざまな事物に、それぞれ精が宿り、
神々が宿っておられると素直に感じている。
それは、植物や動物のような“生きている”存在だけでなく、
水や川、山や風のような、通常は生きていないと考えられているものでも同じだ。
その意味では私たちの人生の、すべてが巡礼なのである。
どこに行く必要も、本来ない。
ここにいるだけでいい。
こうして在るだけでいい。
どこかに行くとしたら、それは私たちの内側に行くのである。
それでも、まだ充分に内側に到達できない間は、
私たちは外に向かう。
特に寺や神社、教会などには神的な存在が色濃くましますと考えられているし、
われわれはそう素直に感じる。
そのような場所に行き、
そのような人に会いなどしているうち、
われわれの意識は徐々に拡大されていき、
そのうちに分かるのだ。
どこに行く必要もなかった。
自分の内側にすべてがあったと。
そのようになるまで、いまだ何回の人生が必要か分からない私は、
明日からまた、巡礼の旅に出る。
どのような旅になるのかは分からないが、
毎回、思いも寄らなかった、想像もできなかったことが起こるのだけは変わらない。
それらの出来事に大いなる者の意志や意識を感じ、
思いがけずも彼に近づく感覚を得るのが、
巡礼の醍醐味といえるのかもしれない。
インド・サイババへの旅から戻ったら、
すぐに福岡で瞑想をお教えする。
それもまた、私にとっては、
一見、自分ではないと感じられる人の意識を通じて、
自然界の、そして結局は自分の意識の深い部分に到達する、
一つの巡礼のように感じられる。
巡礼から、巡礼へ。
それぞれ、旅の外見が変わるだけなのである。
第24号(2009年6月11日配信)
【祝日】現在、<プレマ・セミナー>のほうは【ヨハネによる福音書】の「最後の晩餐」のシーンで、
おそらく新・旧約聖書のすべてを通じてもっとも美しい箇所を通過中です。
この前後にはまた、「聖霊」に関するイエスの言葉が随所に見られますが、
先日、これらの箇所を解説した5月31日(日曜日)は、
たまたまローマカトリック教会における「聖霊降臨」の祝日でした。
イエスが捕えられた後、恐れをなして逃げていた弟子たちにこの日聖霊が下り、
彼らは突然さまざまな言語を話し始め、
信仰に生きるようになったと伝えられています。
そのときの具体的な様子は使徒言行録に詳しく、 それについては6月14日の<プレマ・セミナー>で、あらためて解説します。
さて、5月31日はまた、将来、聖母マリアの大きな祝日になるであろうと、
聖母自身が予言している日でもありました。
自身に与えられる『すべての民の母』の称号の真の意味が理解されて初めて、
世界に平和が訪れることを聖母は予言していますが、
それは、【バガヴァッド・ギーター】でクリシュナ神の言う「わたし」と、
聖書のなかでイエスの言う「わたし」が、
同一の「わたし」だということと深い関係があります。
イエスの母マリアは、単に個人としてのイエスを世に送りだしたのではなく、
イエスと共同で贖罪の業(わざ)を行なう、
普遍意識の主としてのイエスの母であることを言っています。
そうでないと、どうして一宗教の教祖の母を、
「すべての民の母」と呼ぶことができるでしょうか。
先日登場した「わたしの愛にとどまりなさい」というイエスの言葉も、
「大我にとどまる」すなわち「純粋意識に確立される」という意味で、
ちょうどこの部分も、
未来の祝日になるであろう5月31日に解説することになったのでした。
その日、私たちはささやかなパーティを開いて親睦を深めましたが、
今にして思えばすべてが調和した、意義深い日となりました。
ところで、、今月は<Art3>をお教えする月ですが、
この神秘な技術と、背後の深遠な哲学をお教えするときは、
私自身も興奮してしまいます。
たまたま、今度の14日(日曜日)に読む【ヨハネ】第16章では、
それに関係したイエスの美しい言葉が続きます。
「はっきり言っておく。あなた方は悲しむが、その悲しみは歓びに変わる」
その歓びをあなた方から奪い去れる者はいない」
外面的なの幸福は来ては去りますが、
継続的な瞑想によって確立された内面の幸福は、誰にも奪うことができません。
また、同じ箇所でイエスは、
「勇気を出せ。わたしはこの世に勝ったのだ」と語りますが、
<Art3>は、私たちがこの世とすら調和的であり得、
そうして、意図しなくても、自然にこの世に勝ってしまう、
その技術を教えてくれます。
今年も半分が過ぎようとしていますが、
皆さまにはますますご健勝であられることを願っています。
第25号(2009年7月8日配信)
インフルエンザでもないのに熱が出て、しばらくほとんど何もできないでいた。久々に外に出て、セミナーで、
「豚インフルエンザにかかりまして……」と言ったところ、
皆さんが一瞬信じられたようだったので、慌てて打ち消した。
それでも、後で前列の方に聞いてみると、
後ろの列にさがろうとは思わなかったと言われ、
嬉しいような、申し訳ないような、複雑な気持ちになった。
私たちの生きる相対界は、相対界であるがゆえに、いつもそこには、
健康と病気、楽しみと苦しみ、喜びと悲しみ……等々、両方がある。
子どもの頃、誰でも思う。
この世界に苦しみや悲しみがなければよかったのに……。
全能のはずの神さまはどうして、
そういうもののない世界をお造りにならなかったのだろう……。
中学に入って、カトリックの神父さんに教えられた。
神さまは、ご自分にかたどって人間を造られた結果、
自由な意志も与えられました。
その結果、人間は自由意志をもって罪を犯し、
そこから苦しみや悲しみがやってきました……。
だから苦しみは、神さまが造られたのではありません。
う〜〜ん、そうかもしれない。
そうなのかもしれないが、やはり納得できないと思った。
自由意志で罪を犯すような人間を、どうして神さまは造ってしまわれたのか。
自由な意志をもって常に正しいことだけするように人間をお造りになることは、
全能の神さまにもできなかったのか。
そう聞くと、神父さんは困ったような顔をして、黙ってしまわれたのだった。
もともと、世界を創造された神さまのお気持ちを
われわれが想像することは不可能だし、
人格神の概念で世界を理解し尽くすこともできない。
神にわれわれのような人格を想定すること自体に、無理があるからだ。
なので、瞑想をお教えするときには、人格神の概念もたまに使うが、
基本的には西洋科学や東洋科学の立場から、この世界を説明することとなる。
この世界になぜ悪や苦しみがあるのかについては、
いろいろな説明の仕方があるのだろうが、
結局、われわれが真に悟りを啓いたときに初めて“分かる”のだろう。
そのためには日常生活の仕事と瞑想を両方続けていくのが一番いいに違いないが、
しかし可能な限り、知的に理解しようとすることもまた、大切である。
今月18日の<Art4>で、
失われた内側の英知を速やかに回復するための技術をお教えするときには、
そのような創造の神秘についてもまた、理論的側面からお話しする。
変な話だが、お話ししながら、私自身、
ヴェーダの深遠さに驚いてしまうのはそんなときだ。
第26号(2009年8月5日配信)
唐突かもしれないが、現在、政治に関係した本を執筆している。
ことの成否や善悪は誰にも分からないにしても、
この国に、本気で「愛」を説く総理大臣がでる可能性もあるので、
国民としてもできるだけのことができたらという、単純な気持ちからだ。
6月の下旬に執筆を始めたところ、奇妙な熱に見舞われ、
しばらく苦しんでいたが、
さらに私を驚愕させることが起きてきた。
前々から出てくると予言されていた、ある聖者の予言がここへきて出てきて、
そこには、これから日本の政治体制が変わっていくことが書かれていた。
今回の選挙だと明記されていたわけではないが、
しかし政治に関係した本を書いたりしているからこんな予言が出てくるのかと思って読み進めると、
さらに、行なわなければならないパリハーラム(処方箋)についても書かれていた。
9つの惑星それぞれの寺院でアビシェーカム、アルチャナを捧げ、
ランプに火を灯し、シルクのサリーを差し上げ、
それぞれで少なくとも40人の貧しい人にお食事をさしあげる。
一昼夜かかる特殊なホーマ(火の儀式)を96日間行ない、
それぞれの後で少なくとも40人の貧しい人たちにお食事と衣類をさしあげる。
シヴァ神のご家族の寺院21カ所に行き、神々に儀式を捧げ、
女神パールヴァティにはシルクのサリーを、他の神々にはドーティをさしあげ、
それぞれで少なくとも40人の貧しい人たちに食事をさしあげる。
女神カーリーの寺院に行き、儀式を行ない、
108人の孤児にお食事と衣類をさしあげる……。
個人的なことをいえば、私は神々に儀式を捧げることも好きなら、
貧しい人たちに食事や衣類をさしあげるのはもっと好きだ。
実際にそれらを手渡して、
素直に喜んでもらったときの気持ちは何ものにも代えがたい。
だが、今回の壮大なパリハーラムのためにかかる費用を用意することは、
現在の私には不可能だった。
人に聞かれたら、無理をしないでくださいと必ず答えるだろう。
が、これは日本全体のためのパリハーラムであり、
あたかもすぐには始め難いことを知っているかのように、
即、始めなければならないとはっきり書かれていた。
人の経済状況を知っているはずの聖者がそう断言していることが、
他の予言部分にも増して私を驚かせた。
困った私は、長きに渡って印税が来ないS館の社長に久々に連絡してみた。
未払い分はそのままでいいから、
お金を“貸して”くれないか、時期をみて返すから、と言ってみたのである。
なんだか、拉致された人を一旦日本に帰してもらうが、
それをふたたび北朝鮮に戻すような、変な話ではあるが……。
するとなんと、無理ですという“二つ返事”であった。
だが、人間的にはとても素晴らしいこの社長は、
「印税の前借り」という方法を教えてくれた。
もちろん、他社からであるが……。
私もついに、そういうことを考えるようになったかと感慨深く、
G舎の社長に聞いてみることにした。
名前を聞けば誰でも知っている某有名作家は、
G舎からン億円借りているなどという話を聞いたりもする。
S館の社長は恥ずかしいことではないと言ったが、
しかし相当に恥ずかしかった。
すると、やはりいい人であるG舎の社長さんも断ってこられた。
出版大不況のさなか、今はG舎も大変なのだと。
しかし、かねてよりご要望のあった『祈りの言葉』を刷ることはできます。
ただし、1000部、買い取ってくださいとのことだった。
だいたい段ボールに、本は50冊ほど入るので、
1000部を買い取ると、段ボールが20箱。
今後私は、その段ボールの上で寝起きし、煮炊きしなければならなくなる。
できるだけ早くそれを売り切らなければ、生きてはいけない。
ホームページに載っている『祈りの言葉キャンペーン』は、そういう事情で行なわれる。
……というより、編み出された。
どんな人の人生にもさまざまな局面があるとは思うが、
「後になって、すべてが笑い話になりますように」という、
新たな祈りが、ここに生まれた。
ところで、8月6日の<木曜くらぶ>では、
ついに東洋の聖書【バガヴァッド・ギーター】のハートといれわる第二章が完結する。
この日は、まるで図ったかのように、満月で月食。
こんな日に聖典を読んだり、瞑想したりすると、
功徳は何倍にもなるといわれている。
また、8月8日、9日の<Art1>は、今のところ少人数で催行される予定だ。
瞑想講座を再受講された皆さんが、毎回、
再受講して理論部分が初めて分かったような気がする、
瞑想の習慣がついて本当によかった、等の感想をよせてくださる。
今後しばらくは、こうした講座の収益も、
パリハーラムを行なうために用いられるので、
お時間の合う皆さんは是非お越しいただきたい。
なお、最近の瞑想講座で必ず行なうことだが、
お昼は皆さんで食事をご一緒することになると思う。
第27号(2009年9月8日配信)
「アフリカの朝」生まれて初めて、アフリカに来ている。
ネット環境は当然劣悪だが、修道院に泊めてもらっているので、とりあえず安全は確保されている・・・
と思っていたら、昨日は修道院に強盗が押し入り、大騒ぎになった。
この日、たまたま日曜日で、しかも一人のアフリカ人司祭の初ミサだったので、壮大な儀式が3時間も続いた。
ミサに出ていた私は難を逃れたが、知らずにすれ違いでもしていたら、
お金があると勘違いされた挙句、ないとわかってさっさと殺されていたかもしれない。
犯人はなんと修道院の上階に逃げ込み、最後は捕まって警察に連れて行かれたが、
修道院内で捕まったのにまさか袋叩きにされるとは、さすがに予想してなかったに違いない。
今まで50回もインドに行って一度もしたことはなかったが、
今回ばかりは友人の強い勧めもあり、万が一の場合のための救援者費用付き保険に入っていた。
最高2000万円まで出るので、そのときはスタッフのハラがアフリカまで豪遊しに来る算段になっていた。
初めての、しかも2000万円のアフリカ旅行をよほど楽しみにしていたらしく、
その必要がなくなったと聞いたハラは、心なしか気落ちした様子だった。
今回のアフリカ行は複雑な事情の末に成立したものだが、
聖者は私がアフリカに来ることなど当然にご存知だったらしく、
パリハーラムと絡めてこられた。
不思議ではあったが、考えてみれば人類発祥の地、当然なのかもしれない。
結果、こちらでは、貧しい人たちと漁や農作業までさせてもらうことになった。
苦しくて楽しい時を過ごしつつも、一方では、イスカーナさんじきじきご推奨の国内旅行の方も楽しみでならない。
今回急遽訪れることにした、那智の浜の近くにある補陀洛山寺(ふだらくさんじ)は、
遠く南インドはアガスティア・マライ(聖者アガスティアがかつて予言の葉をしたため、
今もそうしておられるといわれる聖山)や聖クットララムの滝、
聖地パーバナーサムなどと深い関係にあり、実はそれらの東門にあたる可能性があるらしい。
これらはいずれも、過去、幾度となく聖者の指示により巡礼に訪れ、
これから皆さんをお連れしなければならないとも思われる聖地だ。
今回、まったくそれとは関係なく企画した巡礼の旅だったが、
実は思わぬ深いところでつながっていたのは、
ちょうど、アフリカに来ることになったら、
インドの聖者がパリハーラムを設定していたのに似ている。
あるいは、今回日本人に生まれたわれわれのために、特別に用意されていた旅だったのかもしれない。
有り難いことに、お寺から「到着をお待ちしています」とのお言葉に加え、
関係機関からはインドとの関係にまつわる特別な資料までいただいた。
さらにまた、補陀洛山寺の秘仏・十一面千手観音像を拝礼させていただける予定だ。
PC環境に苦しみながら何とかここまで書いたところで・・・
教会の鐘が鳴り、私をアフリカの現実に引き戻した。
鳥たちがさまざまに歌い戯れるなか、隣の修室に住む聖者のような老司祭が、
白いスータンに身を包み、聖堂に向って歩いている。
朝6時のミサに与り、日本の皆さまの幸せを祈り、
そうして過酷で、充実した一日が今日も始まっていく。
第28号(2009年10月30日配信)
6年前のある日、私はインドの薬草市場に薬草を見に行き、目的を達成できなくてとぼとぼホテルに歩いて帰ろうとしていた。
そのとき、隣に突然自転車が止まり、話しかけてくる人がいた。
なんとそれは、あの予言の読み手の一人だった。
「どうか私たちの館に、また予言を読みに来てください。
あなたの予言が出てきて困っているのです」
彼は突然、そんな不可解なことを言い、私を困惑させた。
こうして数年ぶりに読んだ予言には、私が、これからある奇跡に遭遇し、
その後、瞑想を教えるようになると書かれていた。
当時、私は、誰に聞かれても、私は瞑想を教えないと断言していた。
その上、その奇跡とは、ある聖者に会った後、シヴァ神の許で、
私に“神人(かみびと)”が接触してくるという信じがたいものだった。
彼は普通の肉体を持っているように見えるが、
しかし天界から降りてきた人。人類の頂点に立つ者。
その彼から私は、ある物品を渡されるというのである。
かつてサイババに会い、過去や未来を言い当てられ、
何度も目の前で物質化現象を見せられた。
【アガスティアの葉】を読み、実際に予言が実現するのを経験した。
しかしそれにしても、そのようなことが現実に起こるのか。
にわかには信じられなかったが、事態は徐々に、
葉に書かれた核心に近づいていった。
結果的に、私は『意識の科学』を学び、瞑想を教えるようになった。
長い間ためらっていたが、その旅の過程を今回、一冊の本にした。
われわれの意識の奥底に隠された神秘を少しずつ明らかにしていく旅は、
基本的に孤独で、ときには過酷だが、
しかし私は、これをできるだけ多くの人と共有していきたい。
そうすることで、意識の内側でつながっていたい。
そんな思いで、この本を書いた。
第29号(2009年11月29日配信)
「ああ、あの本、私もまだ読んでないんですよ〜」ある女優さんが本を出版したとき、
内容について質問した記者に対して残した名言である。
この皆さんが本を書くときは、
編集者がいろいろと質問をして“著者”に話させ、
それをテープ起ししてライターがまとめるのが普通である。
もっと極端な場合は、
“著者”の与り知らない間にライターによって本が書かれ、
写真だけ“著者”のものを撮って、内容も知らない間に出版される。
メディアのインタビューでもあるときには、
事務所がいろいろと教えておいて、
あたかも自分が書いたかのように話をまとめる。
メディアの側も、もちろん本人が書いたとは思ってないが、
こちらも仕事なので、互いに話を合せるのである。
そういうことをある程度知っていると、むしろ冒頭の発言が、
微笑ましく思えてくるのは不思議である。
私が医学部にいたとき、医局の先輩が入ってくるなり、
「わしの学位論文の題名、なんじゃったかいのお」
と言って、私の度肝を抜いた。
学術の分野においても、自分で書くことなく論文を出し、
審査に通って“医学博士”となる、ということがあり得る。
特に、医者の社会では、そうしたことがままあるといわれている。
かく言う私にも、「あの本は、自分で書いたんですか?」と聞いた人が、
今までに二、三人はいる。
……この際だから白状しておくが、
これまでの作品のすべては、わしの双子の弟が書いた。
奴は生まれてこの方、科学を含む哲学や宗教が好きで、
そんな話をさせたり、ものを書かせたりすれば、
まあ、そう悪くはないとわしも認めざるを得ない。
そこでわし自身は部屋でごろごろしていて、その間に弟に書かせる。
というより、奴は好きでそうしてるんだが。
本のなかの先生と、実際に接する先生とは別人みたい、
という意見がときどき聞かれるのは、そういう理由にもよる。
最近、弟は、『神々の科学 -奇跡の瞬間-』という本を書いたらしい。
どのようにして瞑想が教えられるようになったかという経緯を記した本だが、
文章の一言一句にいたるまで、編集者と激しいやりとりをしておった。
議論は相当白熱することもあり、
聞いてみれば、それは「、」一つの位置についてだったりして、
呆れたよ。
彼らにとっては、これが大問題らしい。
本の装丁も、帯の文言の一つひとつに至るまで、
すべてが“産みの苦しみ”だったようだ。
わし自身はこんなにぐうたらな生活をしておるが、
弟はそういう禁欲的な生活が好きらしいんだな。
そういえば、出版社のS館は、
急に『アガスティアの葉』の完全版を出したいと言い出し、
12月10日に出すそうだ。
今はそのための文章推敲作業の真っ最中で、
鬼みたいな編集者のスキをみて『神々の科学』にサインをしているようだが、
本も最初っから品薄気味で、出荷が遅れているらしい。
わしのサインでよけりゃ、なんぼでもするんだがな……。
順次、発送作業をしているようだが、
お待ちの皆さんには本当に申し訳ございません、
週明けにはすべての皆さんに発送が終えますので、と言うておった。
こうして一人、ぐうたら生活を送っているわしがいうのもなんだがな……。
……編集者と白熱していた間に、あ、兄が勝手にイタズラを……。
大変申し訳ありません<(_ _)>
完全版『アガスティアの葉』のときには、
速やかにサイン・発送を終え、インドに発ちます。
そしてインドでは、
皆さまの健康と幸せを、心よりお祈りしてまいる所存です。
第30号(2009年12月20日配信)
『予言』師も走るという師走。
毎年この時期になると、私は必ず予言する。
それは決して誤らない。これからも誤ることがない。
今年は、速やかに終わる。しかし同じように、
新しい年もまた速やかに終わる。そうして、
その積み重ねであるところの一生もまた、速やかに終わるであろうことだ。
子どもの頃、時の経過があまりにゆっくりしていると感じられ、
早く大人になりたいと思っていた。
しかし大人になってみると、時は突如として加速し、
あっという間に人生が過ぎていく。
かつて聖者は言った。
『終わりのとき、われわれが持っていけるのは、それまでに成した善と悪だけだ』
それ以外のこと--地位や名声、富や快楽など--も、
それぞれに意味のあるものではあろうが、
しかしそれを使って何を行なったかが問題だ。
そのことは一応分かっているのだが、
しかし、われわれは時を無駄にし、貴重な人生の時間をやり過ごす。
イエスも言った。
『終わりの日には、あなた方の語った無駄話の一つも、
見逃されることはないだろう』
そのとき、われわれが生きている間に、人に慈悲深く接した分については、
今度は自分に返ってくるだろう。
もちろん、人に無慈悲に当たった分についても、厳しく自分に撥ね返る。
奢り高ぶったことについても報いを受けるだろうし、
苦しみに耐えたことには慰めが与えられるだろう。
われわれの宇宙ができて137億年、
自然の流れは淡々と時を進め、
人が生まれようが、死のうが、
愛そうが、憎もうが、
苦しもうが、喜ぼうが、
一つの人生が終わり、次に生まれてきて、
次の、そのまた次の人生が終わっても、
いつかこの宇宙が終わって次の宇宙が始まり、そうしてそれも終わっても、
粛々と時の流れは続くだろう。
そして最後の最後、実在そのものと一致するとき、
われわれは時の流れのなかにいながら、「無限」と「永遠」を手に入れる。
一つひとつの人生の瞬間は小さく、儚げでも、
同時に、それが無限で永遠であったことにわれわれは気づき、
こうして私の、
決して誤らない“予言”も終わりを迎えることとなる。
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