<Art5>体験談
<Art5>第1期開催中、受講された皆さまからいただいた感想のなかから、 初日のものをいくつかピックアップしました。青山圭秀よりのお返事と併せてご紹介いたします。
ヴェーダの英知とこの瞑想法に、とても…とても…感動しています。 初日、皆さんと一緒にした瞑想は、初めての瞑想のときのように強烈でした。固い岩 のような奥深くの傷が癒え、精妙なレベルで燃えていくような状態がしばらく続きま した。全身の細胞を構成するなにかが青い光に包まれて、目の前を渦巻きながら溶け ていく。内なる英知、新たな技術の素晴らしさ……。
新しい技術を使ったとき、それが心と体に優しい方法であったとしても、意識の 深いレベルに入っていくことで、さまざま新しい経験が起こり得ます。それは時間と ともに昇華されていき、意識の内側で確実に自分のものになっていきます。
瞑想中に経験するあの甘美な世界を楽しんでいる間、相対界のもっとも精妙な幸せに 没入していました。そこにずっと留まっていたいとあんなにも願ってしまうのは、ま だまだ個別性を手放せない状態なのでしょうか。
ラーマクリシュナ・パラマハンサは、悟りを啓く直前、“砂糖そのものになるよ り砂糖を味わっていたい”という感覚に囚われ、躊躇したといわれています。<Art5>を実践すると、瞑想中に極めて甘美な体験を、日常生活においても神秘な体験を することがあり得ますが、しかし最終的に、私たちはそれらをも超えた実存の絶対領 域に入っていくことになります。
<Art5>初日を迎えるにあたり、何日も前から運気が上がってくるのが手にとるよ うに分かりました。もの凄い吉報がやってくるような感覚でした。今生でどうしても 感じたい、経験したいと思う「愛」に、もう少し、あと少しと近づいて、もしかした らたどりつけるという予感がありましたから、初日を終えて、ああ、これだけのこと を学ぶ準備を私はしていたのか、習う前から、すでにその恩寵のなかにいたのだと、 強く感じました。実生活のなかでも、すでに信じられないほどのチャンスが降ってき ていて、今日の学びも、すべてが神々との対話のように感じられました。
瞑想の技術を学び、新たに大きな進化の流れに乗るとき、自然界は、進化する生 命たちへの恩寵を隠しきれないことがあります。その祝福を感じたとしても、感じな かったとしても、いずれにしてもそれはそこにあります。外側のどこかではなく、私 たちの内側に、確実にあります。
2014年12月催行の第26回『大いなる生命と心のたび』におきまして<Art5>体験版講義がありました。受講された方からの感想と青山圭秀よりのお返事をご紹介いたします。
相対性理論と量子力学を統合する理論…。なんかとっても難しそう…と思っていたのですが、12月にインドで講義を受けてみると、ほんの少しだけその意味がわかった気がしました。
さまざまな糸を操るうちに、内側と外側が繋がる感じがあって、今まで教えていただいたマントラは、自分の内側の深部に入っていくような感じでしたが、この糸は、1度深部に入った心が、その中で宇宙を形成していくような感じ…。そして最後は、内側に形成されたものが、外側(相対界)になっていることが感じられる…。12月には自分で使えるようになりませんでしたが、これを自分で使って瞑想できるようになるばかりか、その背後にある哲学も教えて頂けると思うと、今からとても楽しみです。
この糸を使った科学は、おっしゃるように、内側と外側を繋ぎます。というか、内側と外側を一つにします。結局、相対世界のすべてを自分(のもの)にすることになります。
昨年12月、インドに連れて行って頂いたとき、その内容について、少しだけお話を伺いましたが、どうやらこの宇宙にはまだ解明されていないさらなる真理があるらしい、究極の理論が存在するらしい、それを解説しながら、さらに進んだ瞑想の技術を先生が教えてくださろうとしている、ということに、ただただ興奮と感動を覚えました。
いつも先生がしてくださる、宇宙についての科学的な解説、それを意識の世界、瞑想の技術と関連づけて話される瞑想講座は、月並みな言い方ですが、神秘のヴェールがはがされていくのを目の前で見せられているような、わくわく感に満ちています。
私たちが知りたいと願うところには、必ず「知識」があります。知識がなければ、生命はもともと知りたいとすら思わないからです。そして、知りたいと願う者に、自然界は必ずその知識を授けます。
Art5の体験版を教わるより以前、何かのきっかけで、視覚を使った瞑想法に興味を持ったことがありました。それまで続けていたArt1〜4の技法に不足を感じたわけではなく、ただなんとなく密教に伝わる別の瞑想法に自然に関心が湧いたのでした。当時、機会があって先生にご相談したところ、非常に穏やかな表現で、別々の系統の、複数の瞑想法を並行して実践することは一般的にはあまり望ましくないことを教えていただき納得しました。それきり僕の意識からその件は失われていたのですが、昨年12月にArt5を体験したとき、それは世界や意識の神秘に迫る秘密の鍵のように感じられ、同時に以前に自分が気になっていた『別の瞑想法』として、潜在的に望んでいた以上の形で実際に与えられたかのように思われました。
<Art5>は、たしかに瞑想の新たな側面を拓いてくれるものです。この科学を学び、経験することで、世界の拡がりと深みを同時に味わってください。
聖なる滝を浴び、ホーマで神々に共鳴し、<成就の技術>の精髄を体感した12月の巡礼旅行、とくに、自然の気に癒されつつ受けた早朝のレクチャーと瞑想が忘れられません。太陽神スーリヤを父にもつカルナの神話で、太古の神々の世界に想いを馳せました。相対性理論と量子力学とを統合する、自然の法則『糸』を、太古の聖仙らは瞑想により悟り、自由に操っていたというお話では、現代科学をはるかに凌駕する、ヴェーダの叡智に触れさせていただきました。
青山先生が個人面談をしてくださった時、何が始まるのか?ドキドキでしたが、<成就の技術>の体験中、神々の意識と(我々の祈りが)一致していく過程で、その?が氷解していきました。瞑想後、完璧なまでの幾何学模様で構成された球形の光の粒がたくさん透けて見え、まるで呼吸をするかのごとくリズミカルな輝きを放っていました。
以来、旅行中に先生がおっしゃっていた、背後にある巨大な科学・哲学とこの技術をマスターするための、<Art5>の開講を待ち続けています。
この技術をお教えすることについては、かなりの期間、逡巡しました。今回は、現在の私たちの意識レベルで自然界が許してくれる、ぎりぎりのところまでお話ししたいと思います。
未だに100%毎日瞑想を実践できているわけではないですが、心の拠り所であることは間違いなく、最近になってようやく集中度が上がってきたように感じています。五感を離れ、より深い瞑想にたどり着きたいとの思いを持っています。その中で、昨年末のインド巡礼での体験は、その入口を感じたとともに大変興味深く思いました。万難を排し、21講座全て参加します。
なんと3月にインドツアーを計画されているんですね。来年は諦めざるをえないと思っていましたが、21講座に挟まっているので、可能な限り参加したいです。
人間の神経系統をもって生まれてきた私たちが一回の人生の間に可能な進化には限りがないといわれます。それをどのようなものにするかは、私たち次第です。こうして瞑想や巡礼をし、祈りや儀式を捧げながら歩む人生は、そうでない場合に比べてはるかに違った質のものになります。