震災2


『何ものにも愛着を抱かず
 善を得て狂喜せず
 悪を得ても嫌悪しない者
 そのような人は理知を確立している』
    (【バガヴァッド・ギーター】第二章・詩節57)
つい先月も、こうしたクリシュナ神の言葉を、われわれは普通に読み、解釈し、
聖典を学んだと思ってきた。
『執着を捨て
 ヨーガに立脚して行動せよ、富の征服者よ
 成功にも失敗にも等しく対処せよ
 なぜなら、心の平静がヨーガと呼ばれるから』(同 48)
……と、クリシュナ神は語る。
しかし今回のような事態に直面し、
その体験の度合いは人それぞれであるにせよ、
私たちはこうした聖典の文言を真に生きることの難しさを学ぶ。
難しいというより、それはできないのである。
真に悟りを啓くまでは。
それまで、われわれはこうした“目標”を掲げ、
そこに向って進化していく他はない。
震災以来、ずっと行方不明であられた会員のお一人が無事であることが、
つい先日判明した。
電話でお話してみるとお元気で、
電話やメールはつながらず、ご自宅にもあまり帰れていないけれども、
職責を全うしておられることが分かり、嬉しかった。
一方、行方のまったく分からない方があと二人おられる。
ご一家四人のうち、お子さん一人だけの安全が確認できたが……


ご主人と奥様、お子さんもう一人の行方が分からない。
連日、祈るような気持ちで電話を試み、
現地の皆さんにも協力していだたいて探している。
明日、この方たちを含む被災者の皆さんすべてのために祈ると同時に、
一体どのようにしてこの相対界を生きるのか、
クリシュナ神の言葉を学ぶ。


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