サイババの腕輪が見あたらないことに気づいたのは、この時期だった。
が、忙しい上に、
腕輪は最終的になくならないという経験則に立った“甘え”の気持ちもあって、
本格的に探すことなく、とりあえず私は仕事を続けた。
そうして約一カ月が過ぎた頃、
あるときふと、私の背中を冷たいものが走った。
あの腕輪は、本当になくなったのではないかという気が、突然したのである。
そうして本格的に腕輪を探し始めた私が、
事態の深刻さを理解するのに多くの時間はかからなかった。
自宅、会社だけではなく、
図書館、スポーツクラブ、講演会場、ホテル……等々、
過去1、2カ月の間に訪れ、
腕輪をはずしそうな可能性のあるあらゆる場所を探すこととなった。
それらの場所のいくつかは、
お金を払うときにはあんなに愛想がよいのに、
忘れたかもしれないものを探してもらう段になると、
随分と不機嫌になるところもあった。
そういうものかもしれないが、仕方がない。
こちらが悪いのである。
スポーツクラブには、腕輪の忘れ物が二つもあるというので、
(よかった……)とほっと胸をなで下ろした。
受け付けに行き、係の人がビロード地のお盆に腕輪を載せてくるまでの間、
私の心臓は高鳴っていた。
そうして、ついに探し求めてきたそれが目の前に現れたとき……
心臓はほとんど止まりそうだった。
その二つともが、似ても似つかぬものだったのだ。
サイババはしばしば、すでに物質化したものを手にとると、
まったく別の物品に変えることがあるが、
いくらなんでもあの腕輪をこうまで変化させることはできないだろう。
そう思いたくなるような代物(失礼!)だった。
落胆の色は、よほど隠せなかったのであろう、
何も悪くない担当者が何度も私に“謝られた”ので、
なおさら悪いことをしたような気になって、私はその場を後にした。