「あるとき、羽田から北海道に向かう便に、
一人の男性が、可愛いげな赤ちゃんを抱いて搭乗してこられました。
でもその人は、フライトの間中、泣き続けていました。
『どうされましたか?』と、つい声をかけてみると、男性は答えました。
『これからこの子を、この子の母親の実家に連れて行くのです。
そうして二度と、私はこの子には会えないのです……』
この話を聞いて、私もキャビンで泣きました」
久々に登場のマサコサマの投稿をみて思い出した、
JALのスチュワーデスさんから聞いた実話である。
彼女の長いキャリアのなかで、
もっとも記憶と印象に残ったシーンだったという。
どんな家庭にもさまざま、他人にはうかがい知れない事情があるものだ。
ここでは善良そうな男性が泣いているが、
逆に悪夫に泣かされ、今も泣き続けている善良な女性は、
はるかに数多いかもしれない。
そもそも、クサンチッペは、
われわれが想像しているような悪妻ではなかった、という説も当然にある。
誰も、クサンチッペ本人に親しく接したわけではないし、
哲人ソクラテスにしても人間なので、
ものごとをそれなりに自分の視点から見、語ったであろう。
ソクラテスのような天才なら、当然に
常識では推し量り難い行為を多々行なったであろうし、
それは普通の女性には耐えがたいものだったかもしれないと容易に想像できる。
それに……
もし彼女の名前が「クサンチッペ」ではなく、
「ジュスティーヌ」や「ディアーヌ」、「アフロディーテ」などであれば、
そのイメージもまた、ずいぶん違っていただろうと思うのは、
私だけだろうか……。
イスカーナさんもこの際、愛妻を
「ジュスティーヌ……」または「わがディアーヌ……」
はたまた「愛しのアフロディーテ……」などとお呼びになってみてはいかが……??