12月下旬にインドから帰国した後、いや、旅に出る前から、
多くの皆さまより早く旅日記を書いてといわれた。
実際のところ、私自身はかなり疲弊して帰国、
しばらくそれどころではない状態だったが、なんとか連載を始めてみようと思う。
ところで、2009年4月のインド旅行のほうは、
プッタパルティでサイババにお目にかかり、
ゴアでは東洋の使徒フランシスコ・ザビエルの遺体を拝礼、
充実した、思い出深いものとなった。
ところが、同年、私は壮大なパリハーラムを行なわなければならないこととなり、
また、貧しい家族が入る家も一軒が完成、
その家の入居前には必ず儀式を催さなければならないと、予言には明記してあった。
日本のためのホーマに参加したいという皆さんと、
これらの儀式に皆さんと一緒に与りたいという私の思いが、国内旅行も含め、
同年三度目の『大いなる生命と心のたび』を催行させることとなった。
黄色い布の奇跡の地
このうち、ホーマについては、<木曜くらぶ>のほうで
クリシュナ神の言葉をちょうど学んだばかりであった。
『祭祀によって神々を繁栄させよ
その神々も、汝らを繁栄せしめんことを
互いに繁栄させることにより
汝らは最高の幸福に到達する』
(『バガヴァッド・ギーター』3・11)
すなわち人間は、人間社会のなかだけで繁栄することができない。
進化と繁栄のサイクルには、どうしても神々にも登場していただかねばならない。
そのことに、普通われわれは気づかずにいるわけだが。
さらにクリシュナ神は……
『祭祀の残り物を食べる善人は
あらゆる罪科から解放される
しかし自分のためだけに食物を調理する悪人は
まさに罪を食べることになる』 (同 3・13)
と語る。ここに、「祭祀の残り物」とは、
前回の<木曜くらぶ>で解説したようにあまりに深い意味あいをもつ。
14日の<木曜くらぶ>では、その金言を復習した後、
さらに次の文言へと進んでいくが、
今回の旅行中の“祭祀の残り物”を特別にバナナの葉に入れて持ち帰ったので、
皆さんにお配りしたいと思っている。
ホーマの炎