【ヨハネによる福音書】は、しばしば、
他の三つの福音書に比べて特別な地位を占めるといわれる。
イエスの言葉と行いを簡潔な文体で、かつ崇高に書き表し、
三福音書に比べてはるかにイエスの内面に迫っている。
それは、あまりに有名なあの冒頭の
『初めに言葉ありき……』
の文言に象徴される。
その哲学的内容はあまりに深く、このひと章、
またはこの一節が、新・旧約聖書のすべてにも匹敵すると言っていいほどだ。
もう一つのクライマックスは、
いうまでもなく『最後の晩餐』のシーンでやってくる。
冒頭の部分が哲理であるのに対し、
こちらは、神と一致した人格としてのイエスの、情と感性に溢れている。
先月、解説した第15章、
『もはやわたしはあなた方をしもべとは呼ばない。
あなた方はわたしの友だ』
という部分もそうであるし、この14日に読む第16章
『あなた方はこの世で苦しむだろう。
だが、勇気を出せ。わたしはこの世に勝ったのだ』
のくだりもそうだ。
高校時代から、この部分を何度繰り返し読み……
その言葉に酔ったか知れない。
『この歓びをあなた方から奪い去る者はいない。
その日には、あなた方はもはやわたしに何も尋ねない。
はっきり言っておく。
あなた方がわたしの名によって何かを父に願うなら、
父はお与えになる。
願いなさい。
そうすれば与えられ、歓びに満たされる』