聖書


『聖書』は、いうまでもなく、ユダヤ教、キリスト教の一大聖典である。
イスラム教もまた、実はこれを教典にしているので、
世界三大宗教のうちの二つ、
五大宗教のうちの三つまでもがこれを聖典にしていることになる。
発行部数に至っては、
1815年〜1998年で推計約3880億冊、
2000年一年間だけで約6億3300万冊が配布・販売されたという(国際聖書協会)
究極のベストセラーだ。
しかし、では、なぜこの聖書が「聖なる書」といえるのかについて、
実はわれわれはたしかなことを知らない。
聖書のなかには、その無謬性をうかがわせる表現があり、
したがって聖書に誤りは一つもないと素朴に信じるキリスト教徒も多いが、
むろんそれは循環論法である。
では、聖書は、普通の人間が書いた普通の本かというと、
もちろんそれもあり得ない。
では、どこが違うのか。
イエスはこのような議論が起きたときのためか、
弟子たちのため「保護者」を遣わすと、亡くなる前に言い残した。
これをわれわれは聖霊と呼び、
まことに通常の人間の理解を超えるものではあるが、
キリスト教の根幹を成す概念の一つとなっている。
ちょうど……


それについて語ったイエスの代表的な言葉が登場するので、
可能な限り明日のセミナーで解説する予定です。


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