思えば昨年の今頃、私たちは南フランスの聖地を巡る旅を終え、
帰国したところであった。
旅はもともと、10月に予定されていたが、
しかし出発をあと一週間ほどにひかえたある日、
旅行代理店の担当者がどうしても会いたいと言い出し、
席が一つもとれていない事実を告げた。
結果、旅は2カ月ほど延期され、
そのお蔭で参加できたという方もおられたが、
そのために参加できなくなった方もおられた。
後者は前者よりも数的にはずっと少なかったものの、
大きな傷として私の心に今も残っている。
もちろん、何かの意味があったには違いない。
だから、精神世界の、特にポジティブシンキングを標榜する人なら、
却ってよかったんだ! と一言言ってスッキリするのかもしれないが、
如何せん、悟りの境地にほど遠い私は、
いまだに思い出すと苦しい。
旅に行けなくなって、毎晩泣いた、
旅日記の充実した旅の様子を読んではまた泣いたという方もおられ、
正直、今回の人生のなかで、私の傷がすっかり癒えることもないだろう。
一方、このときの旅で最初に訪れた先のルルドでは……
聖母マリアご出現150周年を祝う行事が進められていた。
思えば、南フランスでも貧困な家庭に生まれ、
自らはコレラにかかったりして病弱、知恵遅れといわれ、
粉引き人夫をしていた父親も片目を失明、
その上、小麦粉を盗んだと嫌疑をかけられて投獄されたのだった。
こうしてまったく収入のなくなった一家は市の温情で、
ジメジメして牢屋としても使われなくなった小部屋に住まわせてもらった。
貧しかった一家は極貧を通り越し、「盗人の家族」になったのである。
これ以上の困難と不名誉があるだろうか。
が、そのようなことがあった直後、
聖母マリアは少女に現れた。