ご指摘いただいたシーンは、私もよく覚えている。
アメリカの天才ランナー メアリー・デッカーは、
76年(18歳)のモントリオールを故障で、
80年のモスクワをボイコットでともに棒に振り、
しかし83年、ついに1500メートル、3000メートルで世界選手権を制した。
84年(26歳)のロサンゼルス大会は脂も乗り切った時期で、
満を持して3000メートル一本にかけたが、
その前に立ちはだかったのが、裸足の天才少女ゾーラ・バッドだった。
バッドは、84年(17歳)、裸足で走った5000メートルで世界記録を出した。
しかしそれは、当時アパルトヘイトを行なっていた南アフリカで記録されたものだったので、世界記録とは認められなかった。
ところが、続いてイギリスで、それをさらに13秒も上回る驚異的な世界記録を樹立。
大きな論争を巻き起こしながら、イギリス国籍を取得し、オリンピックに臨んだ。
問題のシーンは、1700メートルを過ぎたあたりで起きた。
常に先頭を行かねば気が済まない性格のデッカーの前に、
このとき、バッドがいた。
二人は競り合いながら接近、実は転倒の前に二度、脚が接触している。
そして最後、バッドの脚が内側に切れ込んだ瞬間、
デッカーは躓いてフィールド内に大きく転げ落ちた。
このとき、負傷したメアリー・デッカーは、
誰も忘れることができないほど激しく泣き崩れた。
一方、9万人の観客からブーイングを受けたバッドは、
しばらくはトップを守っていたものの、
次第に走る気力を失い(まだ17歳の少女である)、結局7位に終わった。
メアリー・デッカーはレースが終わるまで泣き続け……
レース後も泣きながら退場していった。
その泣き方があまりに激しかったものだから、
もう少し慎ましく泣いていればもっと同情が集まったでしょうに……などと、
当時は勝手なことを思ったものである。
しかし、人生のすべてをその一戦にかけ、
長年苦しい練習を続けてきた選手の気持ちなど、
家でジュースなど飲みながら見ていた私に分かろうはずがないのである。