進化論 3


 この人に限らず、フィリピンの人のなかには敬虔なカトリックが多い。四谷のイグナチオ教会に行っても、六本木のチャペルセンターに行っても、われわれは数多くのフィリピン人カトリック教徒を見ることができる。
 が、もともとフィリピンの人びとには、土着の宗教というものがあったのではなかろうか。それを、欧米から来た侵略者たちがキリスト教に改宗させた。その際には、富を強奪し、女を強姦し、逆らう者は殺害しと、さまざまなことをしたに違いない。
 物質的にも、精神的にも、それは過酷な侵略であったに違いない。ところが、キリスト教徒によるそうした“洗礼”を受けた民族の末裔が、いまやキリスト教を一字一句まで擁護しようとする。少なくとも、彼らの中では飛び抜けて高い教育を受けた彼女は、欧米人のほとんど(おそらくはローマ法王も)が聖書の記述どおりの天地創造など信じないなか、尚、それに反する説に憤慨するのである。
 それは美しくも、どこか哀しい構図でもある。単なる科学上の問題を超え、宗教とは何かを考えさせる進化論争ではあった。


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