進化論 2


 数日後再会した彼女は、ふたたび進化論の話を持ちだした。
 彼女によれば、人間の男には、解剖学的に欠けた肋骨があるという。そんな話は初めて聞いたが、とにかくそれが、神が男の肋骨から女を造ったという聖書の言葉を証明しているという。
 僕は、ここで重大な疑義を差し挟んだ。すなわち、もし聖書の言うとおりであったら、最初の人間はアダムとイブであり、彼らの子供たちから人類が繁栄したことになる。とすれば、アダムとイブの子供たちは、近親間での“危険な”生殖関係を持ったということにならないか。
 これに対し、彼女は言った。
「あの時代に、今のような道徳がなかったとしても、仕方ないでしょう」
 うーーん、たしかにそうかもしれない。しかし、だとしたら、創世記の記述が比喩であったとしても、もっと差し支えないとは思わないのだろうか……。
 僕は、自分の知っている日本人のカトリックで、天地創造をそのまま信じている人はいなことを彼女に告げた。
 それに対して彼女は、それこそが誤った科学偏重教育の結果であると主張したのだった。


カテゴリー: キリスト教 パーマリンク

コメントを残す