【バガヴァッド・ギーター】


【バガヴァッド・ギーター】を初めて読んだ、というより目にしたとき、
まったく意味が分からないのには笑ってしまった。
サンスクリットで読んだからではない。
日本語訳を読んだのだ。
通常の、平易な日本語になっているにもかかわらず、
これだけ意味が分からないとは、さすがに「聖典」だと思った。
【ギーター】の意味が徐々に分かるようになった気がし始めたのは、
瞑想を始めてからである。
自分で瞑想して、内面の世界を探求して初めて、
外に書いてある、アルジュナという他人の経験であるはずの【ギーター】の中身も、
薄ぼんやりと見えてきたのだった。
今も、【ギーター】を読むたび、新しい気づきがあってハッとする。
だから、月に一度、木曜日に【ギーター】を解説するのは、
楽しみの一つだ。
今週の木曜日(31日)は……


第一章のまとめに少しの時間を割く。また、余裕があれば、
アルジュナの本質であるところのインドラ神か、
またはクリシュナ神について解説するつもりである。
そしていよいよ、
東洋の聖書【バガヴァッド・ギーター】のなかでも至高のハートといわれる、
第二章に突入する。


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