1971年、私が中学一年の年の12月、
1ドル=360円から308円に円が切り上がって大騒ぎとなったのも束の間、
その後わずか一年あまりで固定相場制は崩壊した。
アメリカ経済はベトナム戦争その他により疲弊し、
少々のドル切り下げでは追いつかなくなったのである。
一方、日本の対米貿易収支の黒字はますます巨大化していき、
1978年には1ドル=200円の大台を割ってしまった。
その後、ドルはやや持ち直し、
私が初めてアメリカに留学していた70年代最後の日々は、
250円程度であったと記憶している。
だが、80年代に入ってしばらくして、ついにあの日がやって来る。
1985年9月、
日、米、英、仏、独の5カ国蔵相・中央銀行総裁が、
ニューヨークのプラザホテルに集まり、
当時、世界経済の上で問題となっていた米ドル高を是正するための、
協調介入を行なう旨、突然声明を出した。
いわゆる「プラザ合意」である。