かつて学んだ学問を一生生かせる、という方はそう多くはないかもしれないが、
昔親しんだスポーツを一生楽しめるとしたら、
それは大変な財産だ。
私の母校では、宗研に入るかどうかは中学一年の一学期に決めねばならなかったが、
通常の部活動は二学期から始まった。
一年一学期は勉強に慣れなさい(または宗研に入りなさい)、
部活動は二学期から行ないなさい、という方針だった。
当初、私は卓球部に入ろうかと思っていた。
というのも、小学校のとき卓球が流行った時期があって、
毎日のように練習していたので、
中学の卓球部に遊びに行ってみると、
一年上の先輩と互角、とまではいかないが、
満足に打ち合えることに気づいたのだった。
卓球部の部長は、
後に私にカトリック要理を教えてくれることになる筭田神父だったが、
神父とも同様に打ち合ったので、
彼の内心の驚きが伝わってきた。
それを見ていただれもが、私が卓球部に入ることを確信したらしいが、
実際にはそうならなかった。
一年の夏休み、たまたま福山市で、中国地方の体操選手権が行なわれた。
体操部の部長先生に勧められてそれを見に行った私は、
すっかり魅せられてしまったのだった。
体操は、一生できるような競技ではないし、第一危険だと言って、
父は反対した。
しかし、それを聞いていた兄は、卓球だって危険だと言った。
なぜかと問われた兄は、やや深刻そうな顔をして答えた……
「卓球は、ピンポン玉が口に入って、窒息して死ぬかもしれない」
こうして、私は体操部に入ることになったのだが、
そうでなければ、後にバレエを習ったりすることにもならなかったに違いない。