奇跡的な治癒にあずかった女性は特にカトリックを信じているわけではなく、
インドの聖女が来日しなければ、われわれが再会することもなかっただろう。
その意味で、彼女は聖母と聖女の両方に感謝している。
だが、ヴェーダ的な立場からすれば、
仮に聖母マリアが慈しみの化身ならば、同じような化身がインドや、
その他の地に現れてもおかしくない。
小説『最後の奇跡』に書いたように、
実際、アムステルダムにご出現になった聖母は、ご自分に関して、
『“かつてマリアであられた”すべての民の御母……』
という祈りの文言を残された。
カトリックの立場からは考えられない文言で、
聖母から直接これを聞いた女性は、
この部分を最初は公表できずに、伏せていたのである。
しかし聖母ご自身に、それを咎められ、
今では世界中の多くのカトリックがこの祈りを唱えている。
ヴェーダはいう。
愛も、慈しみも、人類の歴史のなかで……
何度も繰り返し化身して現れる。
それらの化身や聖賢たちの生涯や教えを元に、
それぞれの民族は、それぞれの文化や伝統、風土にしたがい、
さまざまに異なる宗教を興すだろう。
それらの表現は異なるであろうが、しかしすべては同根と思うべきだ。
そうでなければ、一宗教の教祖の母にすぎないマリアを、
どうして『すべての民の母』と呼ぶことができるだろうか。
そしてなんと、
このような宗教の普遍性が理解されるまで、
世界に平和が訪れることはないでしょうと、
ご出現になった聖母自身が予言されたのだった。