洗礼を希望していながら果たせなかった一人、N君は、
その後上智大学を卒業し、同じイエズス会系のジョージタウン大学に留学、
修士号を得て帰国した。
中学時代から英語がたいへんできて、
周囲をいつも愉快にしないではいられない人だったので、
私は今でも彼のことが好きでたまらない。
ちなみに彼は、最近メルマガに書いた『黄金色の想い出』を共有する、
二人のうちの一人である。
帰国後、N君は京都にある優秀なカトリック系の学校に勤めたが、
あるとき、私が京都で講演をしたとき来てくれて、
生徒さんを伴って一緒に食事に行った。
そのとき、カトリック系高校の英語教師としての生活ぶりをさまざま話してくれたが、
驚いたことの一つは、生徒とのつきあい方である。
現代の中学・高校においては、
かつて私が経験したような「主従関係」とはまったく違う、
「友人」のような関係があり得るらしく、
そうしたなかで交わされるという会話の内容の一部は……
到底ここには書けない。
また、彼は、よせばいいのに、われわれが在学中の話もしてくれた。
「当時○○君と清心の△△さんが別れた後、××君がその跡を継ぎ……」
同じ広島市西部に、ノートルダム清心というカトリック系女子校がある。
男子校のわれわれとはお互いに尊敬しあい、憧れあっていた部分があったが、
山の上に学校と修道院と寮しかないような世界にいた私には、
そういう学校の女生徒とおつきあいするなど、
想像もできない世界であった。
実際、当時私は大木神父の宗研に通いながら、
修道院に入り、神父になることを夢見ていたのである。
同じ時期、彼も大木神父の宗研で同じように聖書を学びながら、
同時にそのようなことが進行していたとは……。
こうして失われた私の青春が返ってくることはもうないであろうと、
このときは、何日も胸が苦しかった。