広島時代の6年間で、大木神父から洗礼を受けたのは私一人であったが、
少なくとも二人の友人が洗礼を希望していた。
二人とも敬虔な心の持ち主で、
今も私は彼らを尊敬している。
うち一人の洗礼式はある年のクリスマスに予定され、
一旦帰省していた私は、式に参列するため広島に出てきた。
途中、幟町にある平和記念大聖堂の売店に寄り、お祝いに聖母子像を買った。
それからまた市内電車に乗り、己斐(こい)で乗り換え、古江の丘に登り、
楽しみにして学校に着いた途端、私が聞いたのは……
洗礼式はとりやめになったというニュースだった。
お父さまが反対されたとのことだったが、その理由は、
先祖伝来の宗教を棄てて他宗教に移ることは許さない、というものだった。
かつてのカトリック教会ならば、
“無知蒙昧な”仏教徒が息子の“救い”を邪魔していると言いそうな状況であるが、
このとき校内では、これが美談として語られた。
宗教も、まるで生き物のように進化を続けているのである。
ちなみに、人類初の被爆をした広島には、平和を願う記念大聖堂が幟町に建てられ、
広島時代からこの聖堂に入るときには身の引き締まる思いだったが、
知人のたいへん有り難いお取り計らいにより、
後にこの場所で【意識の科学<Art of Meditation>】講座を行なわせていただくことになろうとは、
当時は思いもよらなかった。
私の尊敬する今は亡き本家のおじさんがいらした。郷土歴史家で、地域の歴史には大変詳しかった。そういうおじさんだから、山田家の家系図も、かなり詳しいものを作っておられた。私も歴史が好きだったので、おじさんの生きておられた大学の夏休みに会いに行った。喜んでくださった、おじさんは、「いいものをやろう。」と、何年もかけて作成された貴重な家系図を説明を加えながら下さった。詳細は、紙面の関係で言えないが、、ひとつ、興味深いことがあったので述べよう。それは、遡ること4代目の長男で、山田の跡を継がなくてはならなかった者が、洗礼を受けて、宣教師になり、アメリカで布教し、その地で死んだそうだ。供養をしてあげたいが、アメリカのどこで亡くなったかもわかっていない。