筭田神父は、下のお名前を「健統」と書かれ、
おそらく「たけのり」とお読みするのだと思うが、
当時から寮生の誰も読み方をマスターしておらず、
卒業してもなお、そのままなのが申し訳ない。
大変優れたカトリック司祭で、その語る要理は理路整然とし、
大いに私の感性と、知的欲求を満足させた。
毎週水曜日の午後5時が近づき、
今日はどんな話が聞けるのだろうと思うと、
私は胸がどきどきしてきて、気もそぞろとなった。
5時ちょうど、舎監室に行き、入り口の表札を「面談中」に変える。
そうして、夕食が始まる6時まで、
この類稀な才能を持った神父を私は独り占めできたのだった。
中学2年のときには、大木神父のクラスの他に、
アイルランド人のドイル神父の宗研も始まり、
私はそれにも参加することになった。
(神父は、あまりに端正な顔だちと、ロマンスグレーの髪が美しく、
後に上智大学に移られてから、女子学生のファンが多くて大変だという話を、
私は週刊誌で読んだ)
しかし、このドイル神父、もともと厳しい神父のはずなのに……
宗研のときにはあまりに優しい人に変身する。
お菓子が出て、生徒がおしゃべりを始め、
聖書の解説はなかなか始まらなかった。
こうして移籍に移籍を重ねた末、
中学一年のときに回避したはずの大木神父の宗研に、
とうとう私は収まることになったのだった。
中学3年の頃、すでに宗研のクラスは一つになっていたように記憶している。
高校一年の夏から秋にかけ、洗礼を受ける前、
私は一人で修院に通い、聖書の解説を聞いた。
この時期や、ふたたび宗研の参加者が3人に“増えた”高校3年の時期も含め、
広島にいた6年間で、私は過酷なときと甘美なときの、
両方に恵まれたことになる。