新書5


こうして、明日の早朝からは、
日本アーユルヴェーダ学会の仕事で富山に行く。
気がついてみれば、書き始めたはずの本のほうは、進んでいない。
ため息をつきながら、17日にセミナーで解説する聖書の一節を読んでみると、
そこにはふたたび、師イエスと弟子についての記述がある。
というよりも、前回、私はこの部分を終えることができなかったのだ。
ところで、師と弟子の関係というと……


人間同士のことを普通はいうが、
実際にはそれだけではない。
たとえば自然界の全体は、誰にとっても崇高な師だ。
自然は、その名のとおり、
この世の英知が自然に自らを表現したものだからだ。
そうして、そのなかでも、
最高の表現は、いうまでもなく人間である。
美しい自然のなかにいられる人が幸せなのと同じか、それ以上に、
意識の進化した人に接していられる人は幸せだ。
そのとき、師が何を言わなくても、
弟子には真理が浸透していくだろう。
師は、その言説の巧みさではなく、
人格そのものによって弟子に教えるであろう。
そうして弟子は、
自らの意識のレベルに応じてのみ、
これを受け取ることができるであろう。


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