年の瀬、24日は今年最後の<プレマ・セミナー>となる。折しもクリスマス・イブ。聖母マリアが「受胎告知」をされる有名なルカ福音書の部分の解説を、実は私は、この日のために残しておいた。
医者であった聖ルカは、イエスの直接の弟子ではない。しかしそれだけに、直接イエスと交わった多くの人に取材し、他の福音史家にはない詳細な記述を残した部分がある。「受胎告知」はそうした部分の代表とされ、多くの芸術家たちの想像力をかきたててきた。
いまだ十代の半ばであったろう乙女マリアのもとに、大天使ガブリエルが遣わされて言う。
「めでたし、恵まるる者よ、主、汝(なんぢ)と共に在(いま)せり。
見よ、汝、身籠もりて男子を産まん。その名をイエスと名づくべし」
これを聞いたマリアは心騒がせ、天使に言った。
『われ未だ男を知らぬに、如何(いか)にしてこのことのあるべきや』
天使が答えて言う。
「聖霊、汝に臨み、いと高き者の力、汝を被わん。
この故に汝が産むところの聖なる者は、神の子ととなえらるべし……」
世界に15億とも20億ともいわれるキリスト教徒のすべてが、この有名な箇所を幾度もなく読み聞きし、多くの人は文字通り信じている。聖母マリアと大天使ガブリエルとの間にこうした会話があって、後に神の子であるイエスが生まれた。
しかも、ローマ・カトリック教会は、『われ未だ男を知らぬに……』という聖母の言葉を、彼女がこの時点において、すでに生涯貞潔であることの誓いを立てていたと解釈している。
が、驚いたことに、現代の聖書学の趨勢はこうした解釈をとらない。聖母と大天使との間に、文字通りこの会話が交わされたかどうかは疑わしく、まして、この時点で彼女が純潔の誓いを立てていたという根拠は、聖書学的には弱い。
それでも、マリアは乙女のままイエスを身籠もり、産んだのではなかったのかと問われれば、私はそうであったと確信している。では、実際にはどのようなことがあったのか。
当然のことながら、神が人として生まれるなどということは、われわれが通常の理性で理解できるものではない。しかし、神人(かみびと)の降誕にまつわる神秘を知りたいという強い欲求に、われわれの誰もが捕らえられる。
イエスを産んだマリアは、真実、どのようにしてその地位につくことになったのか。われわれの知らない、教会も知らない、または語らないどのような神秘が、そこにはあったのか……。
24日のクリスマスは、イエスの降誕祭にふさわしいそうした話題について、集中的にお話ししたいと思っている。
事務局より:
24日の<プレマ・セミナー><瞑想くらぶ>は会場、および時間帯が変更になりますので、よろしくお願いいたします。
【マリアの会】は、6時半よりソフィアビル3Fで行なわれます。ふたたび贈られました生産数限定の銘酒 「Jovanni Paulo II (ヨハネ・パウロ二世)」を青山先生が開け、本年度最大、前回を上回る盛り上がりが期待されておりますので、奮ってご参加ください。
青山圭秀
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