宗教 3


いつの日か、キリスト教会においても、そうした過ちが正されるときが来るであろう。
真実は、それ自体の重みにより、いつか自ら真実であることを証しする。だが、教皇の不可謬権という教義により、その過ちが正されるときには、ローマ・カトリックはもはや以前と同じ宗教ではあり得ない。
こうした誤謬が正されるのは、ちょうどユダヤ教がキリスト教に脱皮したように、キリスト教がさらなる普遍宗教に脱皮するときであるに違いない。
私は、どの宗教のどの部分がおかしいとか、間違っているとかいうことを言いたいのでは決してない。むしろ、キリスト教ほど美しい宗教ですら、神と人との合作である以上、そうした要素が含まれるのは避けられないことを言っている。
それでも、キリスト教には人を感動させ、救う圧倒的な力があることもまた、動かせない事実である。そのことを、この一週間の旅行に行かれた皆さんは、全身・全霊をもって体験された。
では、われわれは現代、宗教というものとどう付き合っていけばよいのか。3日のセミナーでは、そのようなことも含めお話しするとともに、できればいよいよ【ヨハネによる福音書】冒頭部分に入っていきたい。


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