宗教 2


当時のユダヤ社会においては、魂が生まれ変わるという思想は、明らかに認められていた。そして輪廻転生という事実は、実際にある。
イエスがここで、『エリヤはすでに来た』と言った場合、それはエリヤが確かに洗礼者ヨハネとして来たことを示唆している。
それが自然な解釈であったが、しかし、6世紀に開かれたコンスタンチノープルの公会議においてこの説は異端とされ、結果、多くの善男善女が破門の憂き目にあった。後に彼らは遠く中国にまで渡り、景教を興すこととなるが、ここに良い意味でも悪い意味でも、組織宗教の本質をわれわれは見る。
組織宗教は、人に尊い救いを与えもするが、避け難く、誤謬を与えることもあるのである。
それから遅れること1300年、ローマ・カトリック教会は、ローマ法王の不可謬権(または無謬権)という新たな教義を発布した。
簡単に言えば、ローマ法王が正式に発布した教義は、誤ることが「なく」、また「できない」というものである。ここにローマ・カトリック教会の教義体系は内向きには完成したが、しかし、誤謬は誤謬のまま、永遠に残ることとなった。


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