西暦一世紀、ユダヤで殉教した聖ヤコブの遺体は、かつて心血を注いで布教したスペインの地に運ばれ、埋葬された。800年間、墓は誰にも知られないできたが、あるときその地に不思議な光がさし込む。そうして、これが聖ヤコブの墓であることが分かった。
ときあたかもレコンキスタ(国土回復運動)の時代。イスラム教徒による迫害に苦しむ民を救うため立ち上がったカール大帝は、しかし苦戦を強いられていた。ところが、天下分け目のクラビーホの戦いで、突然、天から騎士が舞い降りる。剣を手に、白馬にまたがった聖ヤコブは、この戦いでイスラム教軍を蹴散らし、キリスト教徒に大勝利をもたらした。こうして、これを記念し、サンティアゴの地に大聖堂が建立されることとなった。
スペイン最高のロマネスク様式のカテドラル、バロック様式のオブラドイロの正面、栄光の門、チュリゲラ様式の祭壇、無数の巡礼者が触れてすり減った柱の指跡等を拝礼し、われわれは一人ずつ、大聖堂内の聖ヤコブ像を抱擁。これが、千年前から続く巡礼のしきたりなのだ。そうして地下にある聖ヤコブの柩前に、日本から持参した手紙を置かせていただく。
だが、私をさらに感動させたのは、大聖堂内の聖母像だ。聖母像評論家として身を立てて十数年、いまだかつてこれぼど美しい聖母像を見たことがない。いったいどうやって、こんな、生きているようなご像を創ることができたのか……。これを見てしまった今、それよりも美しい聖母を見るのは、死んで実際にお会いしたときしか考えられない。
午前中に主な場所の解説を聞いたわれわれの多くは、12時のミサに。昼食と、午後の時間をはさんで夜まで、それぞれが聖地サンティアゴをゆったりと散策した。再度ミサにあずかる人、ロザリオや記念品を購入する人、祈る人……。そして、奇しくも何人かの方に、同じこの日、神聖なインスピレーションが訪れたことを私は後に知った。
(クリックで画像拡大)
夜の霧雨