日々、新たなヒーローとヒロインが誕生し、ドラマが繰り広げられるオリンピックだが、
体操・個人総合では内村航平が2連覇を果たした。
4種目を終わった時点で、一位ウクライナのオレグ・ベルニャエフとの差は0.401。
ちょっとした演技の綾で、まだ逆転が可能な位置だった。
だが、5種目目の平行棒でベルニャエフが会心の演技をし、
なんと16点台を叩き出した。
内村の演技も決して悪いものではなかったが、差は0.901に広がり、
残り1種目での逆転は絶望的な状況となっていた。
最終種目は鉄棒。予選で内村がよもやの落下を演じた記憶がよみがえる。
今回は逆に、一位の選手が落下でもしないかぎり、逆転は難しい。
自国の選手をひいきするあまり、
(失敗して……)と内心で願う態度はスポーツファンとして浅ましいし、
さりとてオリンピック・世界選手権合わせて7連覇の内村が負ける姿も観たくない。
これを生で見ていなくてよかったと、後で思ったものだが、
しかしその後の内村の圧巻の鉄棒や、逆転優勝が決まったシーンなど、
生で見ていられたらどんなによかったかとも思う。
オリンピックの個人総合連覇は、歴史上、内村を入れて4人しかいない。
うち、二人は日本人だ。
もう一人は加藤沢男で、体操ファンなら誰でも知っている。
1968年のメキシコオリンピックで個人総合のトップを走っていたのは、
当時日本と体操界の勢力を二分していたソ連のボロニン選手だった。
逆転はほとんど不可能な点差であったが、最終種目、ボロニンは鞍馬で落下。
それに対し、加藤沢男は床で9・90を叩き出したのだった。
まさに、奇跡の逆転優勝。
ちなみに、このときの加藤沢男の床運動の最終技は、後方伸身宙返り一回ひねり。
今なら、中学生、いや小学生が行なう技である。
続くミュンヘンでも加藤沢男が個人総合を制したが、
このときは監物永三が銀メダル、中山彰規が銅メダルで、
団体金に続き個人総合でも日本人選手が金銀銅を独占するという無敵ぶりだった。
また、種目鉄棒では、塚原光男がいわゆる「月面宙返り」を発表し、
9・90を出している。
「後方1回宙返り1/2ひねり+前方1回宙返り1/2ひねり」という技であるが、
初めてこれを見たとき……
何をしたのかまったく分からず、啞然としたものだ。
最初に国際大会で成功させたミュンヘンでは、
称賛の拍手がいつまでも鳴りやまなかったという逸話が残っているが、
今日では多くの選手が「後方2回宙返り3回ひねり」を行なっている。
今日、個人総合は一カ国3人まで、種目別は2人までと制限されているのは、
当時、日本のメダル独占を阻止しようとした欧米人が決めたことだ。
実際、1960年のローマから、64年東京、68年メキシコ、72年ミュンヘン、
76年モントリオールと、日本は団体総合で5連覇を果たしている。
今日、「悲願の団体金メダル」と表現されることを思うと、
体操界も大きく様変わりしたのである。