4年に一度のスポーツの祭典・オリンピック。
開会式のダイジェストをチラと観てみたが、やはりオリンピックはいいと感じてしまう。
汚職による大統領の職務停止や経済の停滞、工事の遅延、犯罪の横行……。
今回ほど多難な船出はないともいわれたリオ・デ・ジャネイロ・オリンピック。
選手村に入ってみると、早速トイレが逆流した、といった話が普通にある。
そんなことで選手は全力を出せるのかと思ってしまうが、
今回、日本選手にとっては不利な条件がある。
日本とリオとは、時差が12時間、つまり昼夜がちょうど逆転する。
そのため、たとえばサッカーの予選は日本時間で午前1時から、
柔道の決勝は午前3時半から、
体操の団体・個人決勝は、午前4時からだという。
大学の体育の授業で、
通常、時差は慣れるのに一週間ほどかかるということを聞いた。
たしかに、時差が8時間ほどあるヨーロッパに巡礼旅行に行ったとき、
旅の後半にきてやっと慣れたような感じになってくる。
一週間後、おおむね適応したと思ったら、そのころには帰国することになるので、
帰ってから、ふたたび時差の調整をすることとなる。
ところが問題は、そんな一般の生活における時差ではない。
オリンピックにおいては、生理状態と心理状態の限界が試される。
体力と、微妙な感覚の究極を競う。
そのために、一週間程度の時差調整でよいかといえば、
私は、それでは無理だと思う。
昼夜が完全に逆転するのであれば、少なくとも2週間、
できれば生命としての一周期、すなわち一カ月は調整すべきだ。
その意味で、時差のないアメリカなどで長期間高地キャンプを張ったような選手たちは
きわめて有利、体操や射撃、卓球などのような微妙な感覚が問題となる競技で
直前にリオ入りした選手たちにはかなり不利になるのではないかと思う。
というわけで、叱られるかもしれないが……
今回のオリンピック、アジア地域の選手のメダルは、総じて少ないかもしれない。
しかし、それならそれでよいと思う。
なんであれ、すべてにおいて自分たちの考えうる最善を尽くしたなら、
最終的な結果は自分の責任ではない。
選手たちが、それぞれに充実した時間を楽しめればそれでよい。
それよりも、個体の生存のために直接は関係がないはずの「スポーツ」に
こんなにも多くの人が人生を賭けられるということは、比較の問題ではあるが、
今、世界はそれなりに平和と豊かさを享受しているのだと思いたい。