小泉純一郎が国民の前に颯爽と登場したのは、
2001年、あまりも不人気であった森喜朗首相の退陣後の自民党総裁選であった。
当時、依然として自民党を半ば支配していた平成研究会(旧経世会)から、
橋本龍太郎が立つことが確定していた。
橋本は、すでに一度総理大臣に就任(1996年)、行財政改革を志したが、
二年後、財政再建を急ぐあまり景気の腰折れを招き、志半ばで辞任していた。
もう一度なんとか、という気持ちがあったことは想像に難くないし、
有り余る才能の持ち主として当然であったかもしれない。
もし私が神サマだったとしても、
「橋本くん、前回は君もさぞ、無念だったことだろうと思う。
君は真面目すぎたんだ。もう一度政権を担当して、力のかぎり改革に邁進したまえ」
などと言って、二度目をやらせたいと思ったかもしれない。
実際、当時橋本のとった政策は、結果論として“失政”であったと評されたが、
財政再建の立場からはごく当たり前のことを、真面目に行なったものと思われる。
しかし、小泉純一郎は知っていた。
派閥政治のしがらみをまとい過ぎた橋本龍太郎では、
金輪際、行財政改革=構造改革はできないということを。
大秀才であった橋本の、小泉はおそらく上を行っていたのである。
田中眞紀子をともない、颯爽と国民の前に登場した小泉は絶叫した。
「(もし自民党が私に改革を行なわせないなら)私が、小泉が、自民党をぶっ潰します!」
後に、知らぬ間に、この前段の部分が省略されて、
「小泉は、自民党をぶっ潰す!」と公約した、としばしば報じられたが……
むろん、それはマスコミの巧妙なレトリックである。
いずれにしても、これまでの政治家と違い、
これは捨て身で本気だという姿を国民は見抜き、
自民党総裁選であったにもかかわらず、国民の人気を背景に、
小泉は第87代内閣総理大臣に就任した。
国民の人気を背景に、小泉は第87代内閣総理大臣に就任した・・・
・・・政治家の仕事は国家の医者のようなもの。あちらを立てればこちらが立たなくなるのが政治の難しさ。最大多数の最大幸福を成し得る選択は困難を極め、1000人が考えて一人しか正答を導き得ない超難問であっても、それを国民が時の気分で選んだ人気者に解いてもらうのが民主政治。
何の資格試験を課せられたこともないただの人気者に名医の代わりが務まるはずもなく、民主政治は衆愚政治に陥るのが必然。
・・・ちとシニカルに過ぎましたかな(失敬)。