今から23年前の11月、
私は生れて初めてインドを訪れ、幸運にもサイババにお目にかかった。
そのときの模様は、『理性のゆらぎ』に詳しく書いたが、
その後、同じ月の同じような時期に、さまざまな出来事が起きてきた。
3年前の11月23日、会社を立ち上げた。
社名についてはさまざまな候補が出て、
ああでもない、こうでもないと決めあぐねていたが、
結局、予言の葉のなかにこうしなさい、という記述が出てきて決着した。
法的には、祝日に登記することができなかったので、
登記はその前日、平成22年11月22日とした。
当時、初めて会社を立ち上げるにあたっては、
郷里の父がずいぶんと心配した。
父にとっては、子供はいつまでも子供なのだ。
私事で恐縮だが、その2年後、つまり昨年の今頃、
父は、あと数週間生きてもおかしくないが、
しかし、今すぐ逝ってもおかしくないという、不安定な状況を迎えた。
郷里まで、新幹線で4時間かかることを、
それまでは有り難いと思っていたのに、初めてこれを苦に思った。
もし夜中に移動しなけばならなくなったとき、車を使ったらどうなるか、
朝まで待って新幹線で行くのとどちらが早いか、
セミナーや、瞑想講座の直前に亡くなったらどうするか、
あるいは『大いなる生命と心のたび』の間だったら……等々、
さまざまなことを考えた時期でもあった。
そうしていたところ、11月23日にセミナーが終わり、
サイババの降誕祭を兼ねたプージャが終わって、
ボランティアの皆さんと楽しく食事を済ませた後になって、
容体が急変したという報せが入った。
たとえ父が亡くなっても、
セミナーや瞑想講座を私が直前でキャンセルするとは思えなかったが……
もう少し早い時間に報せが来ていたならば、
どのような行動をとったかは分からない。
しかし、報せがきたのは夜中の11時頃だった。
ボランティアの皆さんは、今から車を出しましょうと言ってくれたが、
朝一番の新幹線を待つ他はなかった。
父は翌朝・午前4時頃亡くなったので、インドの暦では11月23日、
その場に居合わせることができなかったが、
それも運命だったと私は思う。
この日、今年は特別チャリティ講演の後半を行ない、
終了後、サイババ降誕祭を兼ねたプージャを行なう。
その際、皆さまにはリンゴを一個ずつ、サイババに捧げていただこうと思っている。
人数分のリンゴをご用意してあるので、
プージャ終了後、プラサーダムとしてお持ち帰りいただくことになる。
もしこのリンゴ(それぞれ一個分)を寄付していただけるという方がおられたら、
その分はフィリピンか、または伊豆大島で被災された皆さんへの
チャリティとさせていただこうと考えている。
(事務局より)
チャリティ講演会当日は、12時15分に開場いたします。
受付の際、りんごをひとつお受け取りください。
お捧げする方法をスタッフが誘導させていただきます。
書籍をご購入いただいた方への青山先生のサイン会や
伊吹山薬草のチャリティ販売等もございますので、
皆さまのお早目のご来場をお待ちしております。
またプージャでは、南インド舞踊を奉納する予定でおります。
パンジャビ・スーツやサリーをお持ちの方はぜひご着用いただき、
ご一緒にサイババさまの御降誕88周年をお祝いできたらと思います。