先般選出されたローマ法王フランシスコ一世は、
法王に選出、就任されてから、
選挙期間中に逗留していた部屋の宿泊費を自分で払おうとしたなど、
愛すべき逸話の持ち主として知られている。
このような人がキリスト教世界のトップに立たれたということは、
まことに喜ばしいという他ないのだが、
この方が、正統な教会法のもと、
正統に選ばれたキリストの代理人であるということを、
われわれは暗黙の前提としてものを考えている。
だからこそ彼は、新ローマ法王としてバルコニーに現れるや、
その場で直に、そして世界中のメディアを通じて世界に、
祝福の言葉を述べたのであった。
ところが、この人が“正統な”キリストの代理人であるということに、
実は世界中のすべての人が同意しているというものでは、実はない。
ローマ・カトリックと袂を分かったプロテスタント諸派は、
ローマ法王に対して一定の敬意は表するものの、
しかしこれを、地上におけるキリストの代理人とは認めていない。
東方教会に至っては、千年前にローマ・カトリックを“破門”したのであるから、
その長であるローマ法王はキリストの代理人どころか……
“異端”のなかでももっとも罪深い異端であろう。
おなじキリスト教でありながら、なぜそのようなことが起きるのか。
そこにはひとえに、“正統”とはなにかという問題が横たわっている。