Yさんとは、今までさまざまな人生の局面を共にしてきた。
最初の本が出る前から、もう二十何年も一緒にボランティアをした。
しかしその過程で、もともと忙しいYさんが、
多分に家庭生活を犠牲にしてきたことも想像に難くない。
最初の本が出る前から、もう二十何年も一緒にボランティアをした。
しかしその過程で、もともと忙しいYさんが、
多分に家庭生活を犠牲にしてきたことも想像に難くない。
ある日、休日のまる一日を使ってボランティアを行ない、
ああよかった、充実した一日だったと思いながらYさんの家に着いたとき、
分かったことがある。それは、
彼にとっては、お休みの日しか家族と過ごせる時間がないということだった。
そんなことは、よく考えてみれば当たり前であるにもかかわらず、
自分たちにとっての価値の追求の前についつい忘れ、
あるいは忘れたことにするというのは、男の特性なのかもしれない。
それをなんとかしなければと思う反面、
しかし、私も彼も、
小さくはあっても何か意義のあることをしたいという気持ちも強く、
結局、これをすっかりやめることはできなかった。
その過程においては、まだ幼かった子供さんたちにも相応の負担がかかったに違いない。
忘れたつもりになっていても、私は……
そのことに対する罪悪感を、いつも心のどこかで抱き続けてきた。
そのお嬢さんが立派に成人され、結婚されるというのに、
またまた同じような“務め”で式にも出られないというのは、
なんともやるせない気持ちになってきたのである。
私が式に出てどんなにお祈りしたからといって、
彼女の幸福が大きく増すわけでもないだろうし、
ましてあの優しい父君とのかけがえのない時間が取り戻せるわけでもないだろう。
そのことでまた、何人もの人に無理をお願いすることにもなる。
しかしそれでも(明日の式には出させていただこう……)と、
私は心に決めていた。
Yさん・・・郷愁を感じさせるひとですねえ。