転機 4


人生の転機は、よくも悪しくもある日突然訪れる。
が、それはもちろん、そのように見えるだけだ。もしこの世の中に、人びとの残したカルマ=行為のすべてが見える人がいたとしたら、(そしてそのような人が実際にいるわけだが)彼には、何が原因でどのようなことが起きてきたのか、起きてくるのかが、手にとるように分かるだろう。
だから彼には、この世の中がまったく公平で、特に憤ることもなければ焦ることもなく、悲しむこともないように感じられるだろう。
こうして、過去世からのさまざまな行為の結果は、ある日、ある時、ある場所で、正確に芽吹く。
よい行ないをすることや、聖典を学ぶことで、われわれはそれをある程度未然に防ぐことができる。また、瞑想することにより、悪い因子を“タネ”の間に炒ってなくすることが可能だが、それでも残ったものは正確に芽吹いてくる。
悪いカルマを種の状態の間に炒る有力な方法の一つは、まぎれもなく、聖典を学んで英知を高めることだと、何千年もの間言われてきた。
が、それは続けなければ意味がない。一人でそれを続けるのは難しいので、過去一年半、東洋の聖書【バガヴァッド・ギーター】の解説を続けてきたが、この度めでたくこれに区切りをつけ、7月9日(日)から西洋の聖書【ヨハネによる福音書】を解説する。
小さな転機に過ぎないが、第一回目は主として、旧・新約を通じた聖書、ユダヤ教文化とキリスト教文化全体の背景を語ることにする。


カテゴリー: ヴェーダ パーマリンク

コメントを残す