勝負 8


このエッセーの読者のなかには、この春、受験に失敗した受験生の方がいるかもしれない。あまり勉強しなくて失敗した人もいるかもしれないし、懸命に勉強したのに失敗した人もいるかもしれない。
だが、いずれにしても、努力したものが失われることはないし、いかなる損失も人生においてはあり得ない。たとえわずかでも自分のダルマを果たしていけば、われわれはその分、大いなる恐怖からの解放に近づく。
相対界においては、勝ったり負けたり、得したり損したり、喜んだり苦しんだりしながら、われわれは少しずつ真実を学ぶようになっている。
それはまた、われわれの瞑想の営みにおいても同じである。
瞑想しながら、深く入って充実感や幸福感を感じるときもあれば、あまり変化がなくてむしろ退屈なときもある。しかしいずれにしても、われわれが瞑想した分については、無駄になるということがない。
存在の深いレベルに入ったとしても、表層のレベルの不調和を解消したとしても、いずれの分も蓄積され、雪だるま式に利息がついて、忘れたようなときに突然花開く。


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