聖母 3


少しだけ人生が違っていたら……と思うことが、誰の人生にもある。
少しだけ、何かが違っていたら、私は今頃、どこか外国の修道院でミサを立てていたかもしれないし、神学を講じていたかもしれない。
その場合、私がこのようなエッセーを書くこともなければ、それが人に読まれることもなかった。しかし現実には、私は世俗に留まり、真理を求めてやまない読者の方との時を持つような運命にあった。
後に、『大いなる生命と心のたび』でキリスト教や仏教、ヴェーダの聖地に立つたびに、私は思った。
このような旅を、このような人たちと一緒にできるということ自体が、聖母の思し召しに違いないと。純粋意識をすっかり確立するまで、われわれが真に幸せになることはないにしても、この真摯な人びとと交わっているとき、もうすでに、その幸せの一部を垣間見させてもらっているような、そんな感覚に陥る。
聖母がにっこり微笑んで手を差し伸べておられるように、私には思える。


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