大木神父3


 修道院には静かな生活があった。おそらく、神父のネパールでの生活とは大違いであろう。
 食事時、話が今後の予定のことになった。神父は、できるだけ早くネパールに戻りたいと言う。もう、そんなに自分は長く生きない。その自分の体をあまり気にし過ぎてもいけない、というのである。
 たしかに聖書にはある。
『生命のために何を飲み、何を食べようかと心配するな。……思い煩ったからとて寿命をただの一尺さえも長くできる者がいようか』(マタイ 6・25)
 だが、私は言った。
「体が健康でないと、仕事の質は必ず落ちます。少しでも体をよくして長生きされることも、先生の務めではないですか」
 かつてでは考えられない生意気発言に、周囲は一瞬、静まり返った。私も内心、しまったと思っていた。
 ところが思わぬことに、横にいた倉光先生が、これに拍手喝采してくれたのだ。
 私にとって、神父は今でも恐ろしい。その彼には、多数決で立ち向かうほかはないのだ。倉光先生の陰に隠れながら。


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