第十一回 〜シンガポール・スリランカ〜 五日目


参加者の皆さんはアジア最大といわれるシンガポール・チャンギ国際空港で、二時間の買い物を楽しまれたことだろう。あるいは、空港内の郵便局から日本の家族、友人宛てに手紙を出されたかもしれないし、シンガポール式フットマッサージを楽しまれたかもしれない。いずれにしても、二時間では堪能しきれない、楽しい空港だ。
一方私は、夜中、空港からふたたび内陸部まで走っていた。地元の僧正にお会いして、古着を手渡し、ささやかな寄付をするためだ。
僧正は、韓国にもお寺を持っておられる。大変清らかな方で、地元では誰からも尊敬されていると聞いていたが、お会いして納得した。
話をうかがうと、いろいろな面が見えてくる。たとえば、キリスト教徒にはキリスト教徒の、イスラム教徒にはイスラム教徒の学校があるが、それらの学校には他宗教の子は入れない。
貧しい仏教徒の子は公立の学校にしか行けないが、公立校は無料という建て前とは裏腹に、椅子や机の数が足りないとか定員オーバーということで、入学できないことが実際にはあるという。そういう貧しい仏教徒の子を、このお寺では無料で教育している。
僧正はまた、津波の被災者たちにも施しをしている。お会いした被災者の一人は、たまたま旅行業に携わっていた。外国人のツアーを世話して内陸部にいた間に、南部の海岸で家は津波に呑み込まれた。帰ってみると、家族も、家も、すべてがなくなっていたという。
本堂の裏手に案内されると、小さなお堂が建てられつつあった。瞑想のためのお堂だという。寄付金の使途については僧正におまかせしたが、いずれにしてもわれわれの寄付は子供の教育や津波被災者の援助、または瞑想堂の建立などのために使われる。
移動中、たまたま見覚えのあるTシャツとジーンズを着て駆け回る子供を見つけたことがある。それはまさに、私が現地に持参したものだった。そのようなものを着たことがなかったであろう子供は、ただ無心に楽しそうだった。
他の参加者の皆さんがお持ちいただいたものも、今頃こうして役立っている。この国に来て本当によかったと実感した瞬間の一つだった。
一方、滞在中の数日間、私のわがままを聞き続けてくれたドライバーは、最後にぽつりと言った。「私も母を、津波で亡くしました……」。津波や貧困についてさんざん車中で話していたのに、ドライバーは一言もそんなことを言わなかった。
母親は80歳だったという。体力のない彼女は、津波の襲来にひとたまりもなかった。息子はどんなに悲しかったか……。
ほんの少し、その話をする間に、ドライバーは涙声になっていた。それでも、仏陀の教えによれば、それは過去世からのカルマによる。だから耐え忍ばねばと、彼は言った。
12月26日、一周忌がくる。よい一周忌を営むようにと、わずかのお見舞金を最後に渡した。
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お寺の小学校
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これが本当の寺子屋
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僧正様と
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スリランカの小学校
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津波で破壊された家の跡
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ありし日の家族
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スリランカの仏師
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作品
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田植えをする女たち
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手相観の老人
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母親を亡くしたドライバーと
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昼食の風景


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