第十回 〜ローマ・アッシジ・メジェゴリエ〜 九日目


こんなに早く、ドブロヴニクをふたたび見ることになろうとは思いもよらなかった。美しいレンガ色調の昼間とは違い、今度はその一つひとつが光を発している。まさに「アドリア海の宝石」だった。
後方の席は、ほとんど全員が眠りについているようだったが、ドブロヴニクを過ぎて私は尚、まんじりともせず時間計算を繰り返していた。
途中でもし、バスに故障があったらどうするか。そもそも本当に、高速は完成しているのか。完成していなくて、アンコーナのときのように山道を迂回しろなどと言われた場合、時間的な余裕はどれくらいあるのか……。
だが、これまで3日間つきあって気心の知れた運転手がすぐに来てくれたのは救いだった。ザグレブの秋山さんが、飛行機が出ていないことを確認した後、即座にドライバーと連絡をとっていたのだ。再出勤があり得ること、充分に休養をとっておくこと、しかし飲酒をしないでおくこと、等々を指示したという。
彼女はまた、この頃、ザグレブ以外の空港とも連絡をとって航空機の発着状況を調べてくれていた。日本大使館にも連絡をとり、万一われわれが国際線に乗れなかった場合も全員が早期に帰国できるよう、航空会社に圧力をかけてもらう準備をしていた。
こんな有能な日本女性が、東欧の小都市で働いているのか……。そんなことを思ううち、いつしか私も眠ってしまっていた。
途中、もう一人の運転手が乗り込んできた。労働基準法の関係で、交代で運転するという。もう一方の運転手が休むための“ベッド”が、私の座席のすぐ下にあったのには驚いた。
夜間なので、トイレ休憩は、2、3時間に一度で足りた。少しずつ、ザグレブが近づいてくる。そのうちに夜が白み始め、何人かが起き出してくる。そしてまた、車内が静かになる。
そんなことを繰り返すうち、ついにバスはザグレブ市内に入ってきた。路面電車が今も走る、瀟洒な街だ。かつてオリエント急行は、この街が起点であったという。それに乗り込む貴族やお金持ちが常宿としたのが、ザグレブ・パレスホテルだ。
ホテル前では、秋山さんが道に出てくれていた。朝日を浴びて待っていてくれたこの人が、まるで女神のように輝いて見えた。
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運転手の寝床
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おいらにまかせなよ


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