20世紀のヨハネ23世はカトリック教会に大きな足跡を残していったが、歴史上、ヨハネ23世という名の人物がもう一人いる。
1410年に即位した彼は、しかし、ベネディクト13世、グレゴリオ12世に並立する、いわゆる対立教皇であった。世俗の王権と結び、互いに互いを利用しなから権力闘争に明け暮れた時代、当然、自らを正統教皇と主張しはしたものの、結局は対立教皇の汚名を着、「ヨハネ23世」は歴史の舞台から消えていった。
1400年間で22人もの法王を数えたヨハネであったが、対立教皇ヨハネ23世の後、次にヨハネ名を名乗ろうとすれば、自分がヨハネ23世となってしまう。その忌まわしい名を用いる法王は、実に6世紀の間現れなかったが、それでもヨハネ23世の名を名乗った法王は、最後は聖人の位に挙げられた。
慈父のようであったといわれる新ヨハネ23世は、歴史の激動期を生き、5年足らずで亡くなった。彼はその法王名を選んだとき、こう言ったという。
「歴代法王の中で一番多い名だ。短い在位に終わった人がほとんどだが……」
対立教皇ヨハネ23世の墓
(フィレンツェ)
には教皇の紋章が使われている