1958年、ピオ12世がその余りに波乱に富んだ生涯を終えると、即座にコンクラーベが招集された。
このとき、「忙しいのだが、義務だから仕方がない」と言い残して出て行ったヴェネチア大司教ジュゼッペ・ロンカッリは、二度と枢機卿として戻ることはなかった。
マスメディアによって初めて大々的に報道されたコンクラーベが選んだのは、慈愛に満ちた、ペルガモの小作農のせがれだった。
彼が選んだ法王名は、ヨハネであった。76歳で即位したヨハネ23世の在位は5年足らずと短いが、業績は歴代で群を抜く。
彼は第二バチカン公会議を招集し、ローマ・カトリックが近代的組織宗教として脱皮する下地を作った。また、1962年に勃発したキューバ危機では、水面下で戦争回避に務め、結果、世界は破局を免れることとなったともいえる。
現在のベネディクト16世は第265代のローマ法王とされているが、歴代、最も多くの法王名となったのが、このヨハネであった。
囚人からも慕われた
慈父ヨハネ23世