新法王 9


結局、計画は未遂に終わった。未遂に終わるはずである。周囲のことをまるで考えてないのだから。
もともと、広島の中学を受験し、寮生活を始めるなどということからして、昔の田舎の小学校では始まって以来のことだった。
その上、もしあのとき大学に行かずに修道会に入るなどということをしていたら、それも開校以来のことだったし、その後もおそらくなかっただろう。当然である。学校自体が、神学校ならぬ進学校なのだから。
ところが、聖人とか賢者と後に呼ばれるようになる人びとは、その辺からして違う。
たとえば5世紀の終わり、イタリア北部の美しいウンブリア地方に生まれた聖ベネディクトは、14歳のとき、学問を修めるためにローマへ出た。
ところが、そこで彼がみたものは、不品行と不道徳の蔓延する、邪悪な都市だった。その邪悪さが、今日のそれと比べていかほどのものだったのかは分からない。そう大したことではなかったのかもしれない。
しかし聖者はこれを忌避し、ローマを離れて山中の隠遁生活に入ったのだった。


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