新法王 3


先日の<プレマ・セミナー>後、皆さんと一緒に観た映画『ブラザーサン・シスタームーン』には、久々に心洗われる思いだったというメールをいくつもいただき、感謝している。
その中で、聖フランシスコは、ときのローマ法王イノセント3世の謁見を求めてローマに上るが、謁見した法王のほうが逆にフランシスコの人格に打たれるという場面がある。
実際、真の聖者を目の前にしたとき、仮に彼が何の言葉を発しなくても、人は心打たれるものだ。
1226年、ローマと目と鼻の先アッシジで、清貧の聖者フランシスコはそのあまりに清らかな生涯を閉じ、後年、聖女クララがこれに続いた。しかし聖者らの死後も、カトリック教会の腐敗と堕落はとどまるところを知らなかったようだ。
1268年、教皇クレメンス4世が没したとき、時の枢機卿たちは権謀術数と遊興に明け暮れ、数年を経ても後継者を選出しなかった。
呆れ返った人びとは彼らを宮殿に閉じ込め、パンと水のみを与えて新法王を選ばせるという実力行使に出た。そのとき以来、法王選出選挙は、隔離された部屋で秘密裏に行なわれることとなった。
コンクラーベとはもともと「鍵で(閉める)」という意味だが、日本語でいえばちょうど「(枢機卿たちによる)根比べ」となる。
(※聖フランシスコと聖女クララの遺体は現在もアッシジの教会内に置かれ、拝礼することができます。)


カテゴリー: キリスト教 パーマリンク

コメントを残す