新法王 2


今は亡きヨハネ・パウロ2世は、実際に自分で100カ国近くを訪問するなかで、千年も前に分裂した東方教会をはじめ、16世紀の宗教改革で分かれたプロテスタント諸派とも対話の努力を重ねた。
また、2000年の節目には、ガリレオ裁判や十字軍の遠征、ユダヤ人差別などで教会が過ちを犯したことを認め、謝罪した。さらにはユダヤ教やイスラム教との対話と和解を訴えた。
そうした柔軟路線とは別に、避妊・中絶・離婚・司祭の妻帯・女性司祭の登用などの意見には、まったくといっていいほど耳を貸さなかった。その意味で、彼は教義的にはきわめて保守的であったとされる。
そうした前法王を教理面で支えてきたのが、教理聖省長官を24年に渡って務めてきたヨゼフ・ラッツィンガーだった。ドイツ・バイエルン地方の生まれ。現在78歳というから、教理聖省長官に就任したのは54歳の若さであったことになる。
長い間、ヨハネ・パウロ2世の右腕として辣腕をふるってきたラッツィンガー枢機卿といえば、誰もが知る名であった。だが、今、この時点で彼は枢機卿ではない。ベネディクト16世が、新法王として彼自身が選んだ名である。


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