聖マラキ以外に、ローマ法王に関係した破局の預言を残されたのは、ほかならぬガラバンダルの聖母マリアである。
『(そのときまで)パウロ6世から二人の教皇しかいません』
『そのうち一人は、大変短い治世で終わります』
実際、パウロ6世の後を継いだヨハネ・パウロ1世は、33日間の治世で世を去った。だからこそ、ヨハネ・パウロ1世が急死した後、枢機卿たちは、いまだ50代の若い法王を選んだのだという説がある。何の下馬評にも上がっていなかった、非イタリア人の枢機卿を。
だが、そのヨハネ・パウロ2世も、就任して3年目、旧ソ連KGBによる暗殺計画により狙撃され、以後、ついに本来の健康を取り戻すことなく世を去った。
一方、マラキによれば、そのヨハネ・パウロ2世からまだ二人の法王が立つことになっている。どちらが正しいのか……。これについては諸説がある。
ちなみに、全く健康であったヨハネ・パウロ1世がなぜ突然亡くなったのか、その調査結果は公表されていない。
しかし法王庁の歴史のなかで、就任直後に亡くなったローマ法王がかなりの数にのぼることを考えると、それらは決して偶然ではないといわれている。
青山圭秀
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