誇り 4


 今や中国がアメリカと並ぶメダル大国になったのに比べ、中国以上の人口を擁するインドがなぜこれほどオリンピックと縁がないのか。その理由は、ほとんどのインド人にとっての悲願が、通常教育のなかでよい成績を収め、将来経済的に自立することだからだとBBCニュースが言っていた。共産主義政権において国家が威信をかけて選手を育成した中国とは、その点でまったく異なる。
 かりにもし、インドが国ぐるみで大金を投じ、スポーツに秀でた少年・少女を探し出して育成すれば、中国と同じとまではいかなくとも、多くのメダリストを輩出することだろう。そうして彼らには、一族郎党遊んで暮らせるほどの富と名誉が転がり込むだろう。が、そんなことは夢にも思わず、数えきれぬ数の天才少年・少女たちは、今日も道端で、塵芥にまみれて寝ころんでいる。あるいは、片田舎のレストランで汚れ仕事をしている。またはよくて、普通の勉強に精出しているか、サラリーマンをしていることだろう。
 今回のオリンピックでも、メダルの期待がかかるインド人は数人に過ぎなかった。そして、そのなかでも最も期待が寄せられた女子重量挙げのプラティマ・クマールは、ドーピング検査にひっかかり、早々にアテネを後にしたのだった。


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