宇宙 6


 古来、あらゆる民族が、この「無」を人生究極の目標としてきたのは偶然ではない。
 禅僧は、無を得るために、ただただ座る。一日8時間、週7日、一年365日座り続けて、何年かたった頃、その片鱗を感じたとき、彼は心のなかに言い知れぬ安らぎを得る。
 ヨーガ行者も同じだ。日々、たゆまず、生涯にわたってヨーガを行ずる。それはヨーガの体位法であったり、呼吸法であったりする。そうして一生、修行を続け、もしかしたら生まれ変わってまた修行をし、ヨーガ行者は純粋意識を経験する。
 中国や、チベットでも同じだ。気功師も、仙人も、あるいはアメリカ・インディアンの聖者も、同じ実在を目指している。
 初めて瞑想を教えられ、無=純粋意識に陥ったときの感動を、ぼくは今も忘れることができない。だがそれは、瞑想を始めて20年後に訪れたのではない。一カ月後に訪れたのでもない。その日のうちに訪れた。そうして、自分が正しい道にあることを納得させてくれた。
 生涯、そうしたことを人に教えるようにはならないだろうと思っていた。がそうはならなかった。長い間、隠されてきた理論と方法。現代科学の言葉を使いながら、それらを平易に教えることのできる幸運を、今、あらためて思う。


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