かつて、一人の優秀な日本人女性がイタリアにやってきて、医学を学んだ。脳外科を専攻した彼女は、しかし、あるとき手術中に感染し、自ら病床に臥す。数カ月を経ても一向に思わしくない病状を案じた友人が、彼女のベッドに置いていったのが、ピオ神父の写真だった。そうして、彼女は回復した。フランチェスカ原先生の実話である。
その後彼女は、相続した資産のほとんどをピオ神父の病院に寄付し、現在、学会などの開ける立派なホールとして役立てられている。
原先生ご本人に案内されて、教会、ピオ神父が聖痕を受けた聖歌台、神父の眠る墓、神父が受け取った膨大な手紙、聖痕により血に染まった修道服、修室などを見て回った。
手紙は世界中から寄せられたが、神父はそれらの言葉が理解できる理由を聞かれて、「守護の天使が教えてくれるから」と答えている。聖痕から血を流し、告解に来た人の心を見抜き、さまざまな場所に同時に現れ、祈りながら亡くなっていった。
神聖な波動の押し寄せるこの場所に来て、涙する人や、動けなくなる人も。(ピオ神父については、拙著『祈りの言葉』言葉』[幻冬舎]も参考にしてください)
先生のご案内で見学した福祉病院もまた、ほとんどが寄付でできたという。最後に、子供たちの眼科病棟を見せていただくと、そこには、充分なスペースのなかで、たくさんの愛を注がれて治療を受ける子供たちがいた。そこで働くシスターたちは、みな、原先生のご友人。参加者全員が祝福を受けた。
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サン・ジョバンニ・ロトンド
の赤い月